はじめに言葉があった、という意味

言葉は意思で愛で光で命だから。

今宵は旧約聖書から「はじめに言葉があった」という一節が、魔術のエスバットの願掛けにとても大事なことだと思いますので記します。

つまり、言葉には力があり、願いやイメージしたことが叶うというのが魔術です。

その仕組みがどんなものか、考えていきましょう。

 

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言葉には魔力がある

 

願いを叶えたいと願う者は、どうしたら良いか、アドバイスを下さいなどと仰いますが、私から言える事は一つだけです。

「どうしたら良いかを決めるのは自分自身」ということです。

 

魔術とは、「意思」を「言葉」にして「脳を洗脳」することです。

 

ですから私はブログで再三申し上げましたように、魔術とは脳科学です、と言っています。
引き寄せの法則や、加速や因果の法則も全て、脳科学で説明できますし、この仕組みさえ理解でき、コツを体現できるようになれば、どなたでも扱う事可能です。

 

例を挙げれば
1)「明日百万が欲しい」という明確な意思を持ち、
2)それを言葉に出し、
3)すでにそれを持って幸せであるというイメージで脳を騙せれば、本当に百万円が手に入るのです。

 

同じように、
1)「明日彼と付き合うことができる」という明確な意思を持ち、
2)それを言葉に出し、
3)すでにそれが叶って幸せな様子をイメージして脳を騙せれば、
本当に彼と甘い時を過ごすことができます。

 

しかし頭でこれを「理解」しても、どす黒い社会に染まった一般的な人々は中々これを信じないどころか、自分自身さえも信じようとしないし、あまつさえ自分の意思さえ明確ではなく「叶ったらいいや」で願掛けをする。それじゃ叶いません。

 

ヨハネの福音書

 

ここで私が好きなヨハネの福音書を引用しましょう。
どんなに、初めの一歩である「意思と言葉」が大事なのかがお解りでしょう。

 

初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。

万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。

光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。

 

「神」と表記されている処を、宇宙とか、自然の力と解釈してください。
そうすると、言葉という意思の力がどんなに強大か!
万物…つまりすべてのものは、言葉によって生まれるのですよ!
言葉にしないで成るものなんて、ひとつもないんですよ!
何故なら、私たちの言葉は宇宙の力と同義の力を持つのです!

 

そんなエネルギーを持つ言葉は命の魔法であり、人を生かすも殺すも、「言葉」なのですよ。
以前、「呪い」の項にてその言葉に宿る穢れをお話しました。
これもまた言葉の力なのです!

 

誰かの言葉によって私たちは生命エネルギーを得て、暗闇でも輝けるのです。
でも、その仕組みを理解しない人は、そんな迷信と言うでしょう。
それでも暗闇にいる人を救えるのは言葉の力です。
暗闇に落とすことができるのもまた、言葉です。

 

言葉の力は当たり前に知っていること

 

って、私の言ってる意味、わかりますよね?
勘違いなさらないで欲しいのですが、別に私、キリスト教信者ではありません。
それにこの解釈はキリスト教的解釈とは言えません。
私が言いたい事は、これって、私たちが幼稚園くらいの時分に自然に身につく当たり前の「道徳感」ですよね? ってことです。

 

困ってる人が目の前にいたら、言葉をかけると思います。
痛がっている人が目の前にいたら、「大丈夫だよ」と言うと思うんです。
泣いている人が目の前にいたら、肩を抱いて「辛かったね」って言いますよね。

 

逆に人を貶める時も言葉だと思うのです。
だめだよ、むかつく、等々。もっと酷い言葉をかける人もいると思います。

 

そうやって私たちは言葉の魔法を使っているのです。
言葉は、人間に与えられたものです。
神が創りたもうた人間は、罪を背負った失敗作でしたが、言葉による愛で満たされる生き物です。

 

アダムとイブが知恵の木の実を食べた時に知恵を得て、裸が恥ずかしいと羞恥しながらも、言葉による愛を育み、カインとアベルを産みました。
楽園を追放されても、幸せだったのです。愛があったから。

 

再度御伝えしましょう。

言葉は意思です。

意思がなければ、何をしようとも、どこへ行こうとも、どうでもいいです。

 

富士山へ行く!という意思がなければ、どこへ行こうとも同じです。よね?

富士山か北海道へ行く!…これはどっちですか?
ちゃんと決めれないのであれば、富士山でも北海道でもその他でも同じです。

 

どこに行けばいいかわからない!…潔い回答ですが、これは、どこへ行ったとしてもわからないままに終わります。

 

自己成長して言葉を操る

 

さて、だんだんお解り頂けてきたかと思うのですが、もう一つ大事なことは、この明確な意思を表すためには、自己成長が必要だということです。

 

言葉は意思であり、確かに自分のものなのですが、同時にそれは、他者のためになるものなのです。

言葉から命が生まれ光になりましたが、光は、自分だけではなく相手まで、仲間まで包み可視化できるものだからです。
自分が発した言葉が誰かを勇気づけ糧にし、逆に傷つけることもある。
それはつまり、自分の意思が自己中心的な意思なのか、または自分だけではなく他者のためにもなる全体を含んだ意思なのか、ということです。

 

当たり前ですが、自己中心的な意思(=言葉=愛)は自分自身しか救えませんし、愛せません。
よって、その言葉の光が返ってくるのも自分だけです。

しかし後者は全体を含んだ意思ですので、全体を救い、全体を愛することができます。
全体という言葉が複数形ですが、ここを私とあなたという対でも良いでしょう。

 

言葉に力があるんだし、人間に与えられた魔法なのに、自分の為だけに使うのって勿体ないと思いませんか? そもそも非効率です。
よくビジネス書等を読むと決まって、「皆が少しずつ優しくなれば小さな問題は改善される」とありますが、その優しく=言葉、なのですよ。態度ではありません。
態度なんかじゃ伝わりませんからね。
神が与えたものは、言葉(愛)と火なんですから!

 

※因みに火は、物事のはじまりの一歩である情熱や衝動を表すものです。
これも意思に通じるものがあります。
どんなに情熱だけあっても、意思がなければ方向性を決定できませんから。

 

ということなんですが、ご理解頂けましたか? 主に口下手な男性の皆様。
いやいや、女性も素直な気持ちをストレートに言葉にするべきです。
これが自己成長の一歩ではないでしょうか?

 

それでもまだ、自分は一人がいい、一人で生きられると仰る方は、まあそのようになさればいいと思います。
そこが深い暗闇であっても、それは光を理解できないのでしょうから。
そうなると魔術でも何でも、例えば他の学問や医術など分野が違うものであっても救いようが御座いませんのであしからずや。
だって、「一人がいい」というのも、また「意思」なんですもの。仕方ないね!

 

ですので、意思や言葉、そして自己成長…つまり愛情がない人には、私も魔術も、何もできないということをご理解ください。
そういう方は、お断り申し上げております。

 

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