【死んだ後の話だけどね】肉体と物質界と霊界と魂と

死とは何か、生きるとは。

今回は霊界の世界と物質の世界での死についてお話です。
「宗教やお家の関係から、嫁ぎ先のお墓に入りたくない」「実家のお墓に入りたい」「死んだ後、自分の骨は綺麗に管理してくれるのだろうか」といったお悩みについて、プライベートであり常識や道徳や倫理すらも混入する問題ではありますが、霊の世界も垣間見る黒猫の魔女的見解で解説します。
(話題を頂いたご本人様には掲載了承を得ていますがお名前は伏せさせてください)

 

霊の世界、霊視、前世と現世、あの世

 

宗教的観点ではなく、自然的な考え

私は魔女を名乗っておりますがキリスト教でもなければ仏教でも御座いません、無宗教で御座います。
いえ、敢えて言うのであれば、宇宙教とか、自然教とか、そういう自然崇拝を信じていますね。

 

もっと言えば、そう考えているのは先生(私の指導霊)に自然の摂理をご教示頂いた為であって、これが無ければ元々実家は仏教の浄土宗ですので、その考えが染み付く筈だったでしょう。
また霊視などをしていると自然と御霊前については勉強しなければいけないですし(だって死者がいらした時に宗派で常識が違うのでね、元々は同じなのにさ)
お墓についてもそれぞれの宗教・宗派によって形や弔い法が違いますから、私は知識をそれなりにでも習得しておかなければなりませんでした。

 

つまり何が言いたいかと言えば、そういった現世・現代での常識を存じ上げなら、 霊界では…いえ、魂が輪廻転生する宇宙の中の自然の世界では、全く違う観点から「死」を捉えているということです。

 

ですから熱心な宗教信者に対しては私の言うこと(先生にご教示頂いたこと)とは全く失礼になると思います。
私は、私のことや先生の仰ることを信じろとは申し上げません。
只々、私は宇宙の真理を皆様にお伝えするという使命がありますから、そうしているだけです。
自分が信じるものをどれにするのか、選ぶのは人それぞれだと考えています。

熱心な宗教論者に対しては失礼になると思いますが、宗教戦争がめんどくさいので「そういう考えもあるよねー」と思ってくださいね。

 

肉体と魂、輪廻転生

 

死という現象とは何か。
その話をする前に、前提での定義をしておかねばなりません。

 

私たちの肉体は宇宙(神)からの借り物です。
何故なら宇宙がビックバンして地球が誕生した時の成分や地球を構成している成分が、私たちの体の成分と同じだからです。
この話を詳しく説明すると長いので、石の話の項ですがこちらが解りやすいかと思います。
【魔女の石】鉱物は大地の産物【だから化学組成式から勉強して】

 

魂、(解りにくければ精神と解釈しても構いません)それは、とても粗雑で粗悪なもの(混沌と言えばいいのでしょうか)から生まれたもので、 神である宇宙や自然の物質に近付きたいと願い、それを勉強・習得する為に肉体の器に一つずつ入れられ、現世で修行をしています(仏教でいうところの菩薩です)
輪廻転生という宇宙の法則に従って、肉体が朽ちればまた新しい肉体へと魂は渡り歩きます。
その際に、死という肉体と精神の苦痛を何度も繰り返さない為に、来世には前世の記憶がなく生まれ変わります。

 

前世の記憶がない理由

 

考えてみてもくださいよ。
もし前世の記憶を覚えているのが当たり前だったらあなた、 何度も死んだりする精神的苦痛と、その時の痛みを知っている訳ですよね?
死んでやっと終わると思った痛みであっても、「ああ、また新しく始まるのか」と生まれ変わった赤ちゃんの時に幻滅しますよね…

 

霊視をしている私が言うのもなんですが、「前世を知りたい」と仰られても、 それは現世の貴方にとってはなんらプラスにならないことですよ。
だって記憶にないように宇宙の法則がそうしているのに、わざわざ私が「前世こうでしたよあなたは!」と言ったって、それは因果の法則に抗うことではありませんか?
私は今までは確かに知りたい人には言ってきましたけれど、先生はそれは違うと仰っています。

 

知らなくていいことを知る必要はない。
知らなくても宇宙は、世界は、時間は、進んでいくのだし、それをもし知りたいと願うならば、ご本人の指導霊が私の元へ連れてきて「教えてあげて」と告げるから。

 

現世でやるべきこと

 

つまり現世で出来る私たちの仕事というのは、「魂(精神)を鍛え成長をさせること」になります。
お金を貰う事=仕事では決してありません。

 

何故ならば、魂を成長させると霊界での仕事高(解りにくければ階段のようなものだとご理解ください)が上がりますから、常に魂を磨こうとなさる方、 逆境から逃げずに立ち向かって吸収しようとする方、 同じことを何度も繰り返すだけでなく途中で気付きを得て修正していこうとする方などには 自然とラッキーな事が起こったり、お金も自然に集まってくるのです。

 

だから私もそのように生きています。
だから無駄に感情で論争しようなどという気が毛頭起きません。
痛みの多いこの体に生まれてきて何度も死にたいと思いましたが、それを受け入れてからはお金に困ることもありません。
自分を卑下することがどんなにいけないことか、自信(存在意義)を持つべきだと気付いてからは、悩みすらなくなり物事を常にラッキーだと思えるようになりました。

 

そのように、魂を成長させ続けることが大事なのです。
同じお金を使うなら、教養を得る為に本を。
同じゲームをするなら、例えばそれが恋愛シュミレーションゲームならどのように女子力をアップさせるべきか学ぶでしょう。
そのように他人から馬鹿だと思われるようなことでもいいのです、手近なものからで。
自分にとって吸収できる教養がそこにあるのなら、行動すればいいのです。

 

死とは器の交換

 

私は死ぬことについてさほど執着しておらず、ただの器の交換だと考えていますのでどこか冷酷な文章になるであろうこと、お許しくださいね。

 

私は望めば、死者や魂と会話が出来ますので、肉体があるかないかの違いはあるにせよ、例えどなたかが亡くなっても皆さんよりはきっと、寂しくはないのだと思います。
それでも確かに愛する人が亡くなって、肉体を焼かれ骨になってしまえばもう、抱くことも出来ませんから寂しいことなのだと思います。

 

ですから、そういう「寂しいという感情」というのは、解るのです。
それぞれ一様に同じものではなく、それはそれぞれが克服していかなければいけないものなのだと思います。

 

お墓や骨(物質)を所有したがる

 

ですが、お墓の問題であったり、亡くなった後に焼かれた骨…というのは解せません。

宇宙の真理では、自然全てが神ですから、 例えば私たちの今住んでいる土地も、家も、お金も、肉体も、全て神のものです。
神という表現が苦手な人の為に再度言えば、それは「誰のものでもない宇宙の、自然のもの」です。

 

いつからですか?
人間が縄張りを主張して、財産権利を主張して、家族や家を自分のものだと勘違いしだしたのは。
最初から、誰のものでもないはずです。
長男だから、長女だから、家を守らねば、墓を守らねば等と、仰っておりますが、何故? と問いたい。
親と子の関係、彼氏と彼女の関係、旦那さんと奥さんの関係、自分のものにいつなったのですか?

 

所有したいという気持ちは解ります。
しかしその所有は始めから宇宙の神のものであり、生きている時に一時的にそこからお借りしているだけで、死ねばお返しすることになります。
借りたものを返すのは、幼稚園で教わるような常識ですよね?

 

昔はちゃんとそれが出来ていたんですよ。
日本は自然崇拝国家だったので、自分たちが生きられるのは山や海や田畑の恵み=自然のおかげだとして、捕れた動物や作物をお供えする=祀り(現代の祭り)があったはずなんですけど。
あとはあれですよ、地鎮祭とか、災害を抑える為に生贄とかしたりね。
あれも魂的には可哀想ではありますが、肉体は元々神(自然)のものなので…そうすれば災害がおさまると、思っていたんでしょうね。

 

死んだら物質は全てお返しするもの

 

死んだ後は自然へ返却されるこの肉体(骨含む)ですので はっきり言いますが、どのお墓にはいろうと、どう弔われようと、その後の管理がずさんだろうと、 火葬だろうが土葬だろうが風葬だろうが…関係ないし例外なく返却されます。
借りた本を返すかのような単純な作業の工程の一つとして。

 

もっと言えば、お墓もお仏壇も供養も神棚も要らないんですけれどね。
それは物質界に生きている我々の罪悪観念であったり、所有欲であったり、すがらないといけない心や概念や常識が成しているもので、 心の中に感謝さえあれば、本当は何も要りません。

 

感情論で言えば、「嫁ぎ先のお墓に入りたくない」という気持ちはよく解ります。
私も若い頃、そう思ったことがあります。
しかしそれは感情の話であって、では実際問題、入るお墓を無視する事は出来ませんので(物質界での常識的に)こういった宇宙の真理をご理解頂いた上で好きにすればいいと、私は思いますけどね。

今では自分専用のお墓というものもあるくらいですから。

 

しかしそのような真理をよくお解りにならずに、ただ感情だけで「不快だから」「嫌いだから」等という理由で、嫁いだところのお墓に入りたくないと言うのであれば、生きているうちによく考えるべきです。
何故ならば嫁いだ(結婚した)時点で宇宙の法則が働いているからです。

 

真理の中の婚姻は「許せるか」

 

ここで結婚という儀式についてもお話しておかねばなりません。
真理の中での結婚というのは、実は愛に関わる感情のものだけで、物質界のように正式な契約というのはありません。
愛に関わる感情のもの…というのは、例えば「この人を愛せるのか」という事と同位で「この人を許せるのか」という事です。
基準となるのはその愛情度合いであって、彼氏だろうが旦那だろうが家族だろうが誰でもいいし一人だけではなく沢山いらっしゃる人が普通です。

 

現実界の婚儀に話を戻すと、法律で一人の人と定められていますが 普通はこれも心に決めた人と成約するものですから…
現実界では形や法律があった方が過ごしやすく利便性が良い為にそうなっておりますが、 愛情という面では真理の方でもそれ程変わらないのかと思います。

 

氏を変えるということ

 

よっぽど、よっぽどですよ、 結婚したけれども、愛情どころかあの人を許すことすらできず寧ろ憎いって言うのであれば、離婚して戸籍上もリセットされた上で、別々のお墓に入るのが好ましいでしょうが…。
そこまでする覚悟も勇気もなく面倒だなとお思いであるならば、 同じお墓に入るのが嫌だってのはただの執着された感情だと、私は思いますね。
貴方は何と仰ろうとも、字名を代えてしまわれたのですから!

 

字名を変えることが只の戸籍上の事だけと思うことなかれ。
確かに戸籍自体は明治に利便性の都合で生み出されたものですが、それを言ってるんじゃないんですよ。
魔女の儀式では字名を変えることは生活を変えることや人格を変えることを意味し、 それを人に知られれば自分の弱みを握られることと同義。
ですから私の魔女名「蜜猫」は只の一部でしかありません。
これは一種の、魂をかけ因果に対する契約事なのです。

 

字名を変えた以上、その一族と契約することになりますから (一族とは、そこの字名のご先祖さんですね)
その字名を持ったまま、「私だけ実家のお墓に入る」という利己的な、只のエゴ的なお考えはお薦めしません。
どうしてもそうしたい場合は、字名のご先祖さんと実家のご先祖さんへの感謝をお忘れなきように!
契約事を無効に出来るかどうかは解りませんが、結局は自然に感謝する心があればいいと思います、ないよりは…そして何も知らないよりは…

 

生きている時間は有限

 

人は誰もが、現世では死へ向かって生きている。
肉体がいつ腐乱した卵の塊になろうとも可笑しくない、物質という世界で生活しているのだから。
だから私たちは、現世で生きている時間(修行の時間)をもっと大切に使うべきだ。
与えられた時間は全て平等だ。
その時間を、

 

お金の為に使うのか、
本当の愛の為に使うのか、
何の為に使うのか、それは自由だ。

 

でも有限なのだよ。
いつまでもその時間が続くと、みんな思いすぎ。

 

「これをやりたいんです」
「これ将来の夢なんです」
「お金ないともうやばいです」

 

じゃあ動けよ、やれよ、一歩ずつでもいいからさ…
いつかいつかそのうちって言葉が一番めんどくさいですねー

 

そして、どうせ死ぬ訳ですし、来世には記憶を持ち込めないというルールがありますから 後悔なきように、したいことをして言いたいことを言って愉しく生きた方が良くないですか?

 

ダメ、でも、しかし、そんな言葉ばかりを連ねないでください。
そんな言葉を使うくらいなら、ゲームの世界に逃避する等して、自分で三次元を処理してください。
魔術において、自己評価が大事だと言っていますよね?
自己評価がなければ私も何も言えません。

 

いえ、責めている訳ではないのです。
今現在その言葉を使っていてもね、ここで気付いて自分で直そうとか、向上心がお有りなら貴方は大丈夫ですよ。
問題はそれに気づけない人ですよ。
気づけないということは、ご本人が努力するわけないので、私も何もお手伝い等出来ませんと言っているのです。

 

現世は物質に囚われている

 

現世とは物質に囚われた世界なので、謂わば貴方は囚人なのです。
しかし囚人と思えば生きるのも楽でしょう。
死んだ後の方がシャバなのですよ?

 

私の感覚では、この世で起こること(つまり視覚に映ること)が映画だと思うことにしています。
脳科学の観点からも、目に映っている世界は千分の1秒過去の世界ですしね。
過去を変える事は出来ない…つまりは映画と同じ。
でもその映画は肉体が主演で、監督は私の魂の方ね。

 

だから魂が「こうだ」と望めば、肉体はそれを演じるし、行動するし、何でもする。
魂が「こうなれ」と望めば、肉体と現状が多少違ってもそれに合わせようとする、だって女優だし? 逆を言えば、魂が望まないことは興味すらないけどね(笑)。

 

しかしそういう風に生きるのが楽だとも思うんです。
少なくとも、起こったことに対してひと呼吸置けるし、客観視できるから冷静になる。
ぜひやってみて欲しいかな。

 

死とは、囚われるものがない

 

死ぬことは怖くない。
物質の世界よりも、霊体で動ける方が囚われるものが少ない。
お金も関係ないしね。

 

肉体という鳥かごに囚われた、私たちは囚人です。
もしそうだとして、シャバ(霊界)に出た後に、牢屋がどうなったかって気にしてるというのが今回のテーマでありましたが そんな囚人いらっしゃいます?この世にさw

 

そんな例え話で終わろうと思います。
今宵も良き夢を。蜜猫でした。

 

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