【死んだ後の話だけどね】何故自殺してはならないのか

一度足を踏み入れれば二度と帰って来れない。

今回は自殺の話です。
誰にでもありますよね、そうしたくなる衝動、又はそんな時の一つや二つ。
しかし何故それがダメなのかってことをね、【教科書に書いてない範囲】をお伝えします。

勿論、霊の世界も垣間見る黒猫の魔女的見解で解説します。

前回お話した「死とは何か?」についてはこちらを参照してください。
【死んだ後の話だけどね】肉体と物質界と霊界と魂と

 

霊の世界、霊視、前世と現世、あの世

 

死ぬことは怖いこと?

 

死んだ後の話シリーズ1回目でお伝えしたように、我々が生きている此の世=物質世界では、死ぬことはとても怖いとか、痛いとか苦しいとか、思うじゃないですか。
小さい頃に初めて関わった身近な死について火葬される柩や事後の骨を見た時に。
なんと底知れぬ恐怖を抱いたことかと。

 

死ぬ時は伽藍洞の人形のような動かない肉体になる…それには痛みも伴う。
そういう視点でしか物質界では、解りやすく言えば視覚では、認識せざるを得ません。
しかし私は生まれつきに死者の世界や霊の世界を見てきました。

 

死者の世界と霊の世界の違い

 

ところで、死者の世界と、霊の世界は別物だと思ってくださいね皆さん。
死者の世界(冥界)神話では黄泉の国とか、ヘディースと呼ばれる世界です。
上層部(この世に近い方)は、死んだ人の魂が一旦ここへ着て滞在するだけの観光地みたいなもの。
死んだのに肉体が滅びない、リビングデッド…ゾンビとか、ヴァンパイアとか、死ねない種族もここらへんの世界に近いかな。(これについては現存しているのかは知らないよ、会ってみたいね)

 

それと別に霊の世界(精神世界)とは、此の世の物質界と表裏一体で同じ世界・時間であるんだけれど、それを感じる人・見える人・聞こえる人以外は認識できない世界のようです。
正確に言えば、先生(私の指導霊)曰く、『本来は皆が生まれつき本能に近いところでそれを感じることが出来る』と仰っています。
でも物質界に生きてると視覚情報に慣れてきますから、仮にそれを「野生」の能力だとすれば(寧ろ野生に近いと思いますが)、危険察知能力や洞察力等が徐々に衰えていくというか、使う必要がないから使わない、のね。

 

物質界と霊界が入り混じる世界

 

私には、私の生きている世界が物質と霊が入り混じった世界が普通なので、やはり強いヒーラーさん等から言わせれば「そんなに精神世界偏りの生活をしているとふわふわして風船みたいに飛んで行きそうね」と叱責される訳ですよ。
風船?この私が風船? ベッドが生息地で根が生えているけれど。という毒は置いておいても、仕方ないのですよ、もうそういう世界で生きてしまっているのですから。
いや、生かされている…のですよね、先生。

 

なんていうか、こう、ヒーラーさんには申し訳ないのですが、どんなにグラウディングさせようとしてもこれ以上無理限界って、もう世界を垣間見てる人にはあるんですよ。石とかアチューメントじゃどうしよーもないんだな。
黄泉戸喫みたいに、食事とか性交とかで物質界にその風船の糸を繋ぎ留めておくしか無いね私には。

【黄泉戸喫】に対する黒猫的見解【魔防御回3】

 

物質世界と精神世界は表裏一体

 

つまりは私は生まれつきに皆様が普通では見ていない・視覚化できないようなものを、感じたり、見たり、聞いたりする世界が、現実の世界に並行して(重なって)いる訳なんです。
その霊界(精神世界)では、この世に留まった死者の魂も居たりするので(一般的な概念での幽霊がこれにあたるのかな?)、もう坩堝ですよ。
時間軸もここには無いですからね。侍と明治人が喧嘩したりしますからね。

 

本来、物質世界と精神世界は表裏一体。
肉体と霊体(オーラのようなもの、魂とか、精神だと解釈頂ければ解りやすい)も表裏一体。

では何故そこに死者の魂が迷い込んでいるのでしょう。

 

冥界での魂

 

本来であれば、死が肉体と魂を分かつ時、自然に剥がれ(抵抗する場合は無理矢理剥がされ)、霊体になる。
その時に宇宙の、この自然摂理と真理を理解し(だって今まで自分の器だった肉体がそこにあって今焼かれようとしてる訳で)、一旦冥界へ行くんですよ。
冥界では、今回の現世でこんだけレベルアップしました!という進捗管理が行われている(先生曰く)
そこで次の輪廻転生先、若しくは指導霊になるのかどうかということも決定している(先生曰く)
ニュアンス的には物質界の人々がただ冥界と呼んでいるだけで、ここが一番宇宙に近い、中心にある神殿のようなもの…な感じなんですよね。

 

生と死の堺の頃は私が見てきた中でも、だいたいは死んですぐはまだ、真理を理解する為に此の世に魂が留まっている状態。
49日は正確ではなくて、魂それぞれちゃんと理解したらちゃんと昇っていく。
早い人もいれば遅い人もいる。
生きてるうちにちゃんとわかってる人は死んだ瞬間に綺麗に昇っていく。これは綺麗なんだ。

 

やり残したことがある魂

 

例えば何か言い残したことがあるだとか、恨みがあるだとか言う超面倒臭い人は私の処に来て超面倒臭いやり取り(殴り合い)をする訳ですよ。
だから私、死者は嫌いなんですよ。アホみたいに自分が死んで偉いと思ってんですもん。
儒教も私は嫌いなんですよ。死者を称えるような葬儀とか常識を植え付けるから、生前から死ねば最強みたいに思ってる霊が増えるんですよ!

あのですねえ!生きてる人間の方がおまえらより強いですからねえ!

肉体がある分パワー勝負なら負けませんからねえ!
私の紙の肉体でも勝ちますからねえ!(だから皆さんも絶対に勝てる筈ですし、気持ちで負けないでください)

 

不幸があると祝い事を避ける?

 

人が死んだからと言って、生きている者が遠慮する必要は微塵も有りません。
次の日に赤ちゃんが生まれようと、 結婚式を挙げようと、成人式ではしゃごうと、年賀状を出そうと、別にいいじゃん。
祝い事を極端に避けるのは、確かにどの宗派でもありますが、その本来の意味は「祝い事に使ってる金があるなら葬儀にかけろ」ということですねわかります。

 

仮に死者に遠慮なさってもね、その本人はもう物質界とは違う別の世界に行って、次のお役目の為に前向きに頑張ってんですよ?
それなのに物質に生きる私たちばかり、そうして過去を気にして後ろ向きに生きてんですよ。

 

死ぬよりも生きる方が辛いこといっぱい

 

誰ですか、死ぬことが辛いって思ったの。
生きてるのが辛いの間違いじゃないんですか?

 

私は断言できます。
人生ちゃんと真っ当に生きた人は必ず、死後の世界はポジティブです。
逆に言えば、生きてる間だけが辛い。それが物質界の足枷なんですよ。

 

ところが、これは『真っ当に生きた人』のみに与えられる。
さあ、私の言わんとしていることが解りますか?
長くなりましたが本題に入りましょう。(ここまでが前置き)

 

何故、自殺をしてはいけないのか

 

わかります、わかります、凄く、その気持ちわかりますよ。
だって、私は生まれつきにして死ぬことは幸福な事で、寧ろお祝いだと思って、それが世間の常識だと思ってましたから(笑)。
考えられます? 幼子が死に思いを馳せて顔を赤らめる姿。

 

そして私の体には爆弾がありますから、その常の痛みを耐えて苦しむ位ならいっそ死にたいとずっと願って来ましたからね。
それでも先生(私の指導霊)は私に仰るんです。

その苦しみを自ら放棄するならば、その一生の何倍もの時を苦しみ続けることになる。

 

私はよく解らなかったけれど、痛くて誰も助けてくれない時に銀に光る包丁やフォークを 何度も肉に刺して痛みを止めようとしても、先生の強大な力の前では本当に無力で、 お前馬鹿だな、そんなに痛みが欲しければ更にやろうかと言って、もっと大きな痛みをいただきました。

つまりは、私は自殺をしようとしても強大な力の前には無力で、 私が使命を果たさないうちにそんな狂った考えを起こすことに世界はご立腹のご様子で、 その罰として与えないとお前気付かないだろってんで、因果の法則でもって、更なる痛みと苦しみを与えられた訳ですね(笑)。

 

自殺霊とその指導霊はこの世に留まる

 

その後でしっかりと先生の指導の元、真理を学んだ際にあの時は何故こうだったの? と聞くと、

 

自ら命を絶つ行為は真理の中でも禁忌に分類される項目である。
何故ならそれは、自らの魂の修行を放棄する行いであるから。
自殺した魂は此の世に留まる事が多い。
故にその魂とサポート役の指導霊の魂は長い間此の世から動けなくなる。
そういう死者の魂を見てきただろう?

 

と仰るのです。
確かに、この世に留まる死者の中でしつこい位にネガティブな波動を持つ者は自殺者が多い。
私は祓い屋じゃないので(どちらかと言えば殴り屋)、自殺者に遭遇した場合多くは無視します。
仮に祓おうと思っても、だいたい私の話を聞かないんで。

 

つまりは自分で死んだ癖に、此の世にめちゃめちゃ未練たらたらなんですよ。
霊になって途方に暮れるような長い時間かけて此の世に留まって、それでもネガティブな感情でもってあなた、生前と何一つ変わってないのねと言いたい。(聞いてくれないけど)
そこがトンネルの中だったら、じめっとして生えたキノコも腐るレベルの何百年という時間かけてさ、馬鹿だなって思うのよ。

 

恨みすらも年月で忘れそうなほど

 

わかるよその自殺した時の気持ちはさ、(横すれ違うとビジョン入ってくるから)
よくある嫁姑問題(鎌倉時代くらい)とか、 切腹(戦争の時代)とか、割と最近じゃいじめ問題とか欝の人とか…いっぱい見せられてきたけれどもさ。
恨む対象すら既に生まれ変わってるってのに、あなたはいつまでそこに留まってるんだろうね。
もう恨む相手のことすら忘れてしまったかな?

ネガティブな感情だけが残って意地でもってそこに留まっているのかな?

 

そういうことになるんですよ、自殺するとさ。
死にたいとか、死んだら楽ってのは、気持ち理解出来るし、その通りなのだけれど自らの手を下してまでやる行為ではないってこと。
これは、重力のように宇宙の法則があるからだってしか言えない。

 

自殺は見えない何かが止めにかかる

 

もしそれに抗って、自殺しようとすれば(正確に言えば死にたいと思うのはまだ大丈夫、その行為に及ぶのはアウト)普通ならば後ろの人が全力で止めようとする。
そして因果の法則でもって罰を与える。

 

魔術なら私を殺せると思って文献を探したこともありますが、自分を殺すことはやはり禁術のようですね。
魔術とは自然の摂理や真理を利用して行う術なので、ここにないということは自然の真理ではないのですね。
例えば…死者を蘇らせることが出来ないように、これは禁術なのです。

 

ね?わかりますか?

 

自分を傷つけたら罰が与えられる

 

もし、貴方が一度でも自分の腕に刃物をあてがい血を見たのなら、必ず貴方には罰が与えられている筈です。
それは何か、何故そうしたのか、ということを考えてみて。

 

私はね、お腹が爆弾だったのに加えて、様々な部位を中途半端に失っています。
これによって物質の世界からより遠ざかってしまいました。
つまり、先生たちは私に真理を見せて自殺はダメなことなんだって、理論で解らせようとしたんだね。
それは私の先生の考え方(というか指導)によるものなので、皆さんがそうではないと思うのだけど、そんな危険なことはやらないでね。

 

結局のところ、私はどうやって着地したかと言えば、 「どうせ生きるならば愉しく生きればいいじゃん」って般若心経に書いてある真理をそのまま実行しただけなんだよね。
どうせ最後には死ねるんだし、その死ぬ時は先生に任せようって。
【般若心経】に対する黒猫的見解【魔防御回2】

 

考え方を変えれば世界は一気に味方する

 

私が痛い間は身近にいる人だけでも痛みに苦しむ事がありませんように。

そのように考えられるようになってから、世界は一気に私の味方をしています。
私を元気にさせようと、必然的に会わせようとする人、起こす事象、全部、本当に賜物。

 

私は思います。
生きているからには、何か一つでも生きた証を「もの」で残しておきたい。
私の大切な友人のライブを見る度に、私は「あの子がこんなに頑張っているから私も頑張らなくちゃ」と思えるし、そうしてあったかい手(音楽)で背中を押してくれるのです。
あの子が音楽でCDを残すから、私も残そうと思います。

 

物質の世界は殆ど煩わしくて面倒なことばかりの筈なのに、たまにそういう温かさに触れるから引き戻されます。
精神世界に居ても、感謝とか心が救われることはありますが、手とか、人体の、人間味のあったかさっていうのは、物質界にしかないんだよ。

 

だから自殺して留まってる霊が未練たらたらなのはさ…多分、そこが未練なんだと思う。
人間のあったかさに本当は触れたかったんじゃないかなーと思うね。
もう、それは暫くずっと叶える事ができない罰なんだろうけど…悲しいね。

 

生きていれば悪くないこともある

 

私の主観でしかないけれど、私は死にたいって思っていたのが、 今はまだ生きててもいいかなって思えます。
生きてさえいれば、会いたいと思っていた人に10年越しでやっと会えたりだとか、 やりたいと思っていたことが10年経ってやっと実現したりだとか、 結構悪くないこともある。

 

ってことで、自殺ダメ絶対。
いじめられてるなら学校やめればいいし引きこもってもいいし(死ぬよりはマシ)。
鬱なら原因になってるストレスを無くせばいい(死ねるなら出来るよね?)。
体に痛いことをしたいなら刃物をあてるんじゃなくて性癖に代替えでもするとかして(極端だけどまともなこと言ってると思う)。

 

もうやりたいようにやっていいよ(死ぬよりマシ)。

たかだか100年足らず生きるだけじゃないですか。
今無理して死ぬ程辛い目に合わなくても、考え方ひとつで陽転しますよ。
死んだ後の話だけれど、面倒臭いことになるからね、それよりは物質の世界でやりたいことやった方がいいよ。
逆に、いつ死んでもいいように、ね。

 

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