【受け入れる】と云う事、感謝と死生観

哲学、死生観が大事

今宵は「死」や、それを「受け入れる」ことについて。

魔術を行っているとこのような哲学的・生物的な道徳観念に行きつきます。

ここできちんと精神的成長をしなければ、魔術の上達はあり得ません。

皆さんもこちらをきっかけに、自分なりに考えてみることをお勧めします。

 

霊能力とコントロールのやり方、霊感

 

時間は無限ではない

 

誰しも、今ある時間が無限なのだと、今に酔い痴れます。
しかし我々は限りなく細胞レベルで死に近付く時限爆弾のような存在。
それは誰にでも平等に与えられています。
早いか、遅いかは別にしても。

 

いつか来るそれがあるのなら、私はこうして死んだ後も誰でも閲覧できるものを残そうと思っています。
大昔に弾劾だとして撥ね退け焼き捨てられた数々の魔術書、本当の聖書、が今には残らなかったかもしれないけれど、素晴らしき有能な私の司書はきっと、これをデバック管理してくれる事でしょう…と信じています。

 

ある意味私は、死に一番近い処で生かされています。
死者の世界との橋渡し、霊界との通訳、体は物質界にあっても心ここに在らず、なのかもしれないですね。
かと言って痛みに耐えかねて自ら死を選ぼうとする無様な真似は致しませんが 時折思うのは、物質の世界の醜悪さに吐き気を覚えますね。つまり人の醜さにね。

 

人それぞれ違って当たり前

 

私が何度も言っているのは、人はそれぞれ違う。
私の世界を誰にも受け入れて貰えないように、それぞれの世界があって考え方も価値観も見る角度も全部違う。

 

冒頭の私の文章を遺書だと言う人も居れば、変わった人だと思うだけの人も居れば、その通りだと思う人も居るでしょう。
それは間違いではない、全て正解なのです。
そのように心が感じることをいちいち間違いだなんて正すのは、ただ自分の考えが正しいのだと押し付ける行為に他ならないですよね。
宗教戦争が起こるのはここからでしょうね。

 

だから私は例え考え方が違っても、それを提示されたら「そうか」と頷くことにしています。
「そういう考え方もあるよね」と認めることから、相手と話が出来る状態になると思わないかい?
修行の時もそうだったな。
「うけたもう」しか言葉を発してはならなかったんです。

 

事象を受け入れる

 

受け入れるという行為は何も人に限ったことではないですよ。
貴方がこの世に生を受けたこと。これも受け入れなければ生きていけない。
貴方の体が健康、或いは病気であっても。受け入れなければいけない。

 

貴方がご飯を食べること。それによって捧げられた命に感謝すること。
その恵みを作った自然に感謝をすること。酸素を与えてくれる植物に感謝すること。
地球を照らして最適環境を作る太陽に感謝すること。
飲み水がある地域に生まれた事を感謝すること。
法律で守られる国に生まれた事を感謝すること。

 

貴方が物質界で生まれたからにはそのご先祖さんが居るという事実。
同じ理由で貴方が大好きな人にもご先祖さんが居て、姑等と争うとしてもそれがなきゃ大好きな人はこの世に居なかったという事実。

貴方と相手が居なければ我が子が居なかったという事実。
親が居なければお金がなくて満足に教育を与えられなかった事実。

 

受け入れられない=世界を否定している

 

受け入れられなかったら、それはこの世界の道理を否定していることに繋がります。
どんなに近しい関係の人でも、異世界が故に、こちらの世界を押し付けることは出来ないので完全コントロールも出来ない。
「お前のここが間違ってるんだよ!」という言葉を言われたとしよう、それは詰まり鏡の法則で、相手は自分に向かって言っているのと同じさ。
それに気付いてないだけでね。

 

人それぞれ常識が違う=世界が違う

 

世界が違うんだから当然常識が違って当たり前じゃない?
なんの宗教で宗派なのかご存知なければ自分の家のは把握した方がいいと思いますけれど、相手が同じじゃなかったら全然常識が違うことを知っておいてね。
ぜーんぜん違うから!
(と言っても仏教なら御釈迦さんから発生してるから元は同じなのにねぇ)

 

あとね、生きてる時代でぜーんぜん違うから!
落ち武者の霊と、明治ころの霊と、話し合いにならないレベルで違うから!
それは時代によって常識が違うからね。

 

逆を言えば、同じ時代に生きている私たちは、本当は解り合えるはずですが、 「相手を自分のものにしたい」とか、「相手より有利な立場でいたい」とかいう、所有欲とか名誉とかの感情が優先してて実際には戦争が起こってる訳です。
せめて自分とその周りは平和で居たいし、みんながそう思えれば世界は平和なんだろうけどね。

 

受け入れることが出来れば、怒りや悲しみもない

 

実年齢関係なく、死ぬことを受け入れることが出来れば残りの人生素晴らしく愉しく思えるはずです。
言っておくけれど、死を受け入れたものは自殺なんてしない。
時限爆弾のようにちゃんと寿命が自分で見えれば、そしてそれを受け入れる事が出来れば、悲しみ通り越してちゃんと生きようとするんです。
爆弾はね、物質で生まれた時から持っている体…細胞そのもの。

 

私は決して危機感を煽ってやりたい訳じゃない。
ただネガティブに生きるよりも、宇宙の真理を知って楽に生きた方がいいと思うんです。
勿体無いですよ、健康体に生まれておいてネガティブに生きるだなんてさ。

 

受け入れるということは、その人と対等に、歩み寄りたいという意思だと思うのね。
別に話し合いで解決しないなら(受け入れないなら)話す必要が最初からない。
その人のことを解ってあげる必要が無いのだもの。
受け入れるという行為は、無償の愛だと思うの。

どんなに非道いことをされてもそれが非道いと思わなければ(受け入れている)、本人にとっては嫌なことじゃない。

 

全てを受け入れろとは言わないですが、相手を理解したいならまず受け入れることが、歩み寄ることだと思います。
いちいちパートナーのここがダメだとか言っていたら歩み寄れもしないじゃないですか。
汚い言葉を使えば心もどんどんネガティブになっていくしね。

 

読者さまよりこの記事へのレビュー

 

黒猫米でドン底から這い上がれたことによって、考え方や生き方の質?が代わり、人間として成長できたと感じております。

 

今まで、自分にとって嫌なことがあると、すぐに環境や人のせいにしてしまったりと、恐らく自分の過ちなどを受け入れられていない状態でした。
しかしとある一件で、感謝の意味を知ったり、他人のせいにせず、今の自分を受け入れたりできるようになりました。
これは、黒猫米の経験がきっかけとなり、その経験が哲学や宗教学(講義や蜜猫さんからの教えなど)の知識と結び付き、「こういうことなのかな?」と自然に自分に落とせるようになったと感じています。

 

一昨日まで帰省していて、母親や祖母と話していたのですが、この「感謝」や「人のせいにしない」「妬まない」などの考え方は、魔術の存在を知らない人でも受け入れられる話だと思いました。
それと同時に、人生経験の長いまともな人であれば、全く違和感のない話であると感じるらしいです。
母親が「それは大事よね」「それはあるわよね」と連呼してました(笑)。勿論、魔術とは伝えておりませんが。

 

なので、魔術の根本にある教え(自然崇拝など)というのは、人間が経験として学ぶ考えと一致するのかなと思います。
うまく伝えられないのですが。魔術を学ぶことによって、普通よりも早くそれを実感できるみたいな。

 

また、魔術を学んだ現在では、先祖などにも本当の意味での感謝ができていると思います。
今までだと、形だけの感謝だったり、「受験でお守りください」とか、「してください」ばかりのお祈りだったりしたのですが…。

本当に自分の中身が何倍も成長したと思います。

 

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