全は一、一は全という魔術的定義

全てだと思っていることが全てではないし逆も然り。

今宵は魔女学と魔術について、大事な定義を記しておこうと思います。

目に見えているもの、持っている知識や財産が全てではなく、ひとつであり、そのひとつのものは全てに還るという話です。

この理論を理解しなければ魔術が成立しません。

 

イギリス修行,ハーブや魔術、魔女について|黒猫魔術店

 

知識がなければ術は使えない

 

魔術も魔女学も、長い歴史の中で培われてきた知識や実験に基づきレシピやハーブ、術のやり方や考え方を学ぶものです。
その多くは、実践的なものよりもまずは知識がなければお話になりません。

 

いえ、魔術でなくとも知識がなければ何も出来ませんよね?
例えば医者になろうと思えば医学部にいきますし、海外に住みたいと思えば英語を勉強するでしょう。

 

魔術も同じです。
願いを叶える為にはまずはその仕組みや目に見えないものを理解すべきです。
目に見えないもの、というのは霊とか気とかそういうものではありません。
魔術では「視覚化」といいますが「ビジュアライズ」のことです。
つまり願いを叶えるためには未だ成っていない(持っていない)を成った!(持った!)と想像する力が必要です。
物質のように目に見えるだけを信じていては出来ませんから、これをまず理解しなければスタートラインにも立てません。

 

しかし、英語を理解していなくても海外に住める場合もあったり、移住してから英語を覚えた方が良いという考え方もあるでしょう。
つまり実践型から学んだ方がいいというやり方ですね。
私はこれを否定しませんし、最終的に目標まで到達できるならどんな過程を辿ってもいいと思っています。

 

魔術でも一緒です。
魔術書を正しく理解し、その通りにやることは基本中の基本です。
しかしこの方が私はイメージしやすいとか、トランスに入りやすいということがあると思います。
私は、その心の素直な動きに準じて欲しいと思います。
だって本人が妄想して行う、つまり「脳を騙す」ことが魔術なのですから。

 

黒猫魔術店でも各種魔術具の使い方を詳しくご説明しておりますが、それは決して、「~しなければならない」というニュアンスでは御座いません。
端から見るとかなり面倒で滑稽だと思われるでしょう。
しかしその面倒臭さは、願いを叶える為に自分に課せる時間やお金や物質物のリスクであり、非日常のこと(儀式)をすることで、「これは特別な意思なんだ!働かなくちゃ!」と脳を騙しているわけです。
最終的にその願いが叶えばいいので、その過程であるイメージ等はよりやりやすいやり方に訂正して貰って構いません。

 

魔術書がすべてでなはない

 

しかしですよ、ここから、私の言いたい事なんですけれど、魔術書などの類は実はかなり御座いまして、その信憑性など未だに問われているものもあります。

 

例えば、ネクロノミコンはフィクションの魔術書と言われておりますし、私も大好きなクトゥルフ神話もフィクションの冒涜的で猟奇的な神様が登場します。

 

しかし、私は思うのですよ。
どうしてギリシャ神話や北欧神話が本物で、クトゥルフ神話がフィクションなのか?
誰かお会いしました?作られた時代が違うから? ラブクリフトの夢だから?
けれど低能な人間である私には、クトゥルーが本当に実在しないということはわかりません。
オーディンが本当に実在したのかだって、ゼウスが破廉恥かどうかだって。
確かにクトゥルフ神話は創作物ですが、他古くからある神話や、聖書だって作り物じゃないですか。

 

同じように、魔術具として扱われている当たり前のものも、本当は全く違うものかもしれません。
例えば常識的に、魔術武器としてワンドやソード、カップ、ペンタクルがあります。
勿論私の祭壇にもこれらが並んでいますが、これが本当なのかは誰にも解らないはずです。
だって今生きている人は、魔術が生まれたずっと前に生きているわけじゃないからね。
けれど、信じればこれは魔術武器に成り得ます。又は、これじゃなくてもいいんです。
ワンドの代わりに木の表札でもいいでしょうし、ソードの代わりに鞭を使う人もいます。

 

同じように、黒猫魔術店では魔術ブレスレットやキャンドルなどを販売していますが、うちの魔術ブレスレットじゃなくても、自分がパワーがあるだろうと「思い込んで」買ったものが「本当に」パワーがあると疑わず信じているなら、それはそうなんだと思います。
それだけで既に術が完成してるじゃないですか。
キャンドルだって、色にこだわらなければ百均にも売っています。
あれを彫刻刀を使って入念に願いを刻んだりすればかなりの想いが込められるはずです。
そういうやり方だって有りなんです!

 

信じられるかどうかの違い

 

何が言いたいのかというとですね、世間の常識は時代によって変化しますし、「絶対に」「これが本当」というものはないと思うのです。

 

逆に、魔術書で言えばソロモンの大鍵・小鍵は本物だと言われていますが、ゴールデンドーンが研究して実践して、クロウリーは独自の悪魔にも会っています。
だから有名になった、ひとつの要因だと思うんですよね。

 

もしも、それが理にかなったものでなければ、世界は自然と淘汰します。
「今、ここに在ることは意味がある」ということです。
だから本当かどうかを関連づけるのではなく、もっと自分主体に考えればいいと思うのです。

 

「自分はそれを信じられるか」ということ。

「自分はそれに価値を感じるか」ということ。

 

ひとつのことが全てではない

 

そしてもうひとつ。
魔術において大事な、大事な考え方が。

 

「それが全てではない。」

「全は一、一は全」

というものです。

 

魔術はとても膨大な知識・分野の複合学問です。
ひとつのことで極めきれるはずがありません。
例えばタロットだけ極めたい!とか、石のことだけ、ハーブだけ、というのが通用しません。
全てにおいて根本にカバラがあって、宇宙の星の巡りで占星術があって、やっと地球のものである石やハーブがでてきます。
ひとつのことだけ極める、というのは魔術においてはナンセンスです。

 

例えば、私はハーブ魔女なのでハーブを勉強し、メディカルハーブセラピストの資格を持っています。
これはハーブにどんな効果効能があるのか、医学的にどんな作用するのかが学べる資格です。

 

しかしこれだけでは、調理の仕方や火の加え方によって成分が変わりますから完全とは言えません。
つまり熱湯にさらしてハーブティーにするのか、ウォッカにいれてチンキ剤にするのか等で違いがでます。
これを勉強するためにはハーブ料理やイギリスの伝統的料理を勉強しなければなりません。

 

さらに、メディカルハーブはガレノス理論という「熱・冷・乾・湿」の定義がありますので、これにどんなハーブや食材が該当するのか、またその調理法も勉強します。
さらに、植物は特に四季などの占星学の支配下にありますから、ハーバルアストロジー(占星医学)も勉強しなければなりません。

 

ひとつの処で留まっていれば、「鬱にはセントジョーンズワードだよ」と言えますが、私は、セントジョーンズワートの料理の仕方や、小袋に入れて枕元に吊るせばいい夢が見られることまで言えます。

 

全てはひとつの物事を模したもの

 

私は、いつも自分に問いかけます。

 

「本当にその伝承は本当なのか?」

しかし本当かどうかではなく、長い歴史の中では改変されることもしばしばあります。
聖書がそのように。
ですから間違いが記載されているかもしれません。

 

ある程度の知識が貯まったら、私たちは問いかけなければなりません。
本当に正しいのか? もっとよりよくを目指すならどうするか? 時代にあっているか? 等です。

 

例えば、ワンドという木の杖を製作するワークショップがあるのですが、魔術用に使う木はオークなど、硬いものが多いのでワークショップでは扱いづらい。
その為、初心者用としてホワイトウッドというホームセンターにもある柔らかい木材で作ろう、その作ろうとする、無心になるという姿勢が大事なのだから。という結論だったり。

 

ドリームキャッチャーが悪夢を絡めとるなら良いことも絡めとることができるはず。
それは浄化聖別した大きめの石で、そのままイメージを照射することにもいいはず。
これを惑星護符の仕組みと同一化したら面白いのではないか、という応用だったり、あるマジカルオイルの香りを嗅ぎ分けて何がブレンドされているかを探り、幾つか調合実験を繰り返し、実際に使用し、とんでもない効果がでて、というチャレンジだったり。

 

何故こういうことをするのかと言えば、ひた隠しにされてきた魔術のレシピを公開できるようになればもっと皆さんが魔術を知る機会が増え、よりよく、強く、楽に、素直に生きることができるだろうと思うからです。

 

ですから知識のあるかたは、常に、よりよくを目指し、自分の知っているものは全てだけれども、それはまた新しいものの一つだということを理解しなければなりません。
ひとつの事に拘っていれば、全体という真実が見えません。
全体を知らなければ、新しい創造物(願いを叶えること)を創り上げられないのです。

 

こうでなければいけない、ということはありません。
そうしなければならないことには必ず理由があるはずで、その理由を考えてみること。
答えはあるかもしれないし、ないかも知れない。
けれども自分と向き合う時にこうした哲学をしてみることは
魔術を行う上でとても大事です。

 

すべてであって、すべてではない。

 

ひとつであって、ひとつではない。

 

本当かもしれないし、間違っているかもしれない。

 

この世はそもそも、からっぽ。

 

色のあるように見えていても、本当はないのかもしれない。

 

心に留めて頂ければ幸いです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。