魔術書と体感と考察・魔術修行のやり方

魔術書や知識は基礎。

今宵は、魔術修行のやり方についての話。
あくまでも黒猫的見解ですので、他の宗派さんや結社さんがこれと同じという訳ではないとご理解ください。
またこれをやるからといって、魔術上達するとか、早いとか遅いとか、そういうことではありませんので、初めに断っておきますね。

 

自然崇拝の魔女の魔術、山で修行、ハーブや鉱物の研究|黒猫魔術店

 

山に入って何を感じるか

 

先日、黒猫魔術店の魔女メンバーで修行という名の登山しましてね。
いやあ、あんなに登山だと思わなかった。
情報を舐めてました。丘だと思ってました。
実際はすごくキツくて、やんわり人が通れる道はあるけど獣道もあり、急な坂道だしで…って登山の感想ではなく(笑)
今回の私たちの修行の目的というのはそこに生息する生き物や植物、鉱物の調査と「何を感じるか」でした…。

 

一番は本を読むこと

 

順を追って魔術修行の説明をする前に前置きとして、そもそも私のやり方は普通ではないやり方をしています。
霊力をコントロールするために神仏習合のとある処に修行に行かされたり、怖れられたりしたついでに、元々の病気のせいで色々危うかったので普通のことが出来なかったんです。

 

例えば通常は山籠りとか、ひたすら戦うとか走るとかするんですけど、そんな悠長にやってたら命の危険だったので…。
生身にダイレクトに感じさせて発狂させてを繰り返すショック療法的なやり方が存在したんですよ…。
(これについては言及しません)

 

それが良いか悪いか、効くか効かないかは別として、そんなことまでやった私の修行は幅広いって話です。
色んな種類のことを経験していると思います。

 

でもその中でも良かったことというのは、ただひたすら本を読むことですよ。
読むことを怠ることは何も身につきません。
何でも良いので興味あるもの片っ端から読むんです。
入り口が不明なら漫画でもアニメでもラノベでもいいですよ。
入った先で疑問なことは放置しないで調べるスタイルを繰り返すと気付いたら本に埋もれて寝ていました。

 

体感すること

 

次に体感することも大事です。
私の場合は当時は、調子が良い時だけしか動けませんでした。
動ける時は山籠り、滝行、海外研修…ありとあらゆる考えつくものを実行していました。

 

自然崇拝の魔女の魔術、山で修行、ハーブや鉱物の研究|黒猫魔術店

 

そんな訳で、今回の登山は病後久しぶりの機会だった訳です。
行動動機は単なる知識欲からです。
本で培ったことは果たして本当なのか?
体感したらどうなるのか?どう感じるのか?が知りたかったのです。

 

本来なら、難しい本を理解する前に体感して見ることが先とする宗派が多いかと思います。
勿論それもオーケーなのです。
私も先達に、「考えるな、感じろ」と言われてきました。
それは、考える意識よりも、感じる無意識の領域の方が遥かに大きいのに鍛えにくいからです。
余計なものが頭に入っていると、先入観が邪魔をして無意識で感じ取れない、などの理由もあります。
私もその通りだと思います。

 

やりやすいスタイルで良い

 

しかし現代では知識から入って意識から無意識へと落とし込んでいくやり方の方も良いと考えます。
何故なら現代教育で鍛えられた子供達にとってそのスタイルは受け入れやすいからです。
どちらでやっても構わないし、やりやすいやり方をとればいいと思うのです。

 

「やりやすいやり方」という言葉の表現が適切か分かりませんが、私の考えではこれは理にかなっています。
魔術ではイメージの訓練(視覚化)を行いますが、原則としてイメージできるものは叶うと言えます。
脳でイメージしたものが現実化するという仕組みがあるからです。
ですから勉強なども、できる!と思った方が上達が早いので、やりやすいとか、覚えやすいとか、自分なりのやり方を工夫することがいいと考えます。

 

で、こういうことを言うと批判されます。
(批判については、人それぞれ意見があるので良いと思っています)
独自のやりやすいやり方でやったら、本来のやり方じゃないので教えとして間違っている!という意見です。
勿論、それも正しいです。
独自のやりやすいやり方が、教えの意図することと反し間違ったやり方だとすることを危惧しているわけです。
しかし私は、本来のやり方=本質の教えという訳ではないと考えます。

 

修行は、習得するための学習

 

修行は、ある教えや学問を身につけるために行う学習だと思っています。
ただ滝行で滝に打たれて般若を読み続ける毎日に意味がある(例えば救いなど)のではなく、そうすることで得られる気づきやこの世の真理を学ぶことが本質的な目的だと思うのです。
それを得るために、急がば回れで時間をかけて無意識の方から鍛えるんですよね。

 

本質的な意味をきちんと理解できれば、毎日滝に打たれなくても良くなります。
そこからはそれぞれの気づきの解釈によりますが。

 

例えば一冊の本を読んだとして感想が人それぞれ異なるように、本質的な意味を理解したとしてその感じ方だって人それぞれのはずです。
逆に統一されていたら洗脳ですわ。
(例として、皆が感動した!っていう映画を見てもそれほど感動しない私は、普段テレビを見ないのでマスコミ的洗脳がない状態で見てるんだと思います。)

 

1つの思想や、教えや、信仰であっても、本質的に言いたいことがあって理解するにしても、受取手である私達の感じ方は人それぞれ違って当たり前。
そして感じ方によって独自の解釈をするのは自由だと思うのです。
そりゃ本質と真逆をいったら本末転倒で何学んだのよってなりますけども。

 

例えば、教科書に書いてあることは基本の部分です。
公式を知らなければ計算ができないでしょう。
しかし社会で生活する上で、教科書通りの問題なんて起きませんし、教科書通りの解決策とはいかないはずです。

 

これを応用問題だとするなら、生きていく上では応用の連続でしょう。
でも応用問題は基本的な知識がなければ解くことは難しいですよね。
でもそれに慣れてくると、自ずと問題の本質が見えてきます。
きっと本質はひとつなのですが、その見え方、受け取り方、感じ方は人それぞれ違います。

 

魔術書に書かれていることは基本

 

魔術を学ぶということもこれに近いと考えています。
魔術書や聖書に記載されていることは基本的なことです。
これらはきちんと理解することが大切です。

 

例えば、瞑想や呼吸の意味やなぜ必要なのかということ、やり方を何度か試してスムーズに行えるようになることなどです。
基本的なことというのは最低限することです。
これらをすっ飛ばして自己流してはいけません。
公式がわかってないのにとてつもないレベルの数式に挑んでは疲れますもの。

 

きちんと理解した上で、「本質を読み解く」ことをしましょう。
教科書の鵜呑み、丸暗記が正しいという人もいらっしゃると思いますがそれを否定している訳ではありません。
あくまでも私の意見です。

 

別に魔術書や聖書に限ったことではなく、全ての情報を閲覧する際には「裏付け」しています。
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、疑ってかかるのです。
そうすることで、例えば世論やマスコミや市場に操作されようとしている感情や常識の洗脳をある程度解くことができるからです。

 

フラットな状態で私はオカルトは関わりたいと考えています。
感情的になったり盲信したり、常識や社会的なことを取り入れ判断基準にしてしまうと、オカルト=隠されたものがずっと隠されたままになってしまうからです。
現にそうして隠されてきましたし、今もそうです。

 

ぜひ読者の皆様もそれぞれお考えがある中で、私のこのブログも疑ってかかりさらに調べてほしいなと思います。
私の解釈は、私の中の真実であって、皆さんにはきっと別の真実があると思います。

 

真理は人それぞれ、人生の中で見つけるもの

 

牧師さんがミサで説法をする時に、聖書の一節を取り上げて、自分の体験談とともにお話されます。
それを例に挙げて私も聖書の一節を取り上げるなら、
「ピラトはイエスに、真理とは何か?と問いました。 イエスは答えられませんでした。」

 

真理とはひとつではなく、私たちがそれぞれの人生の中で見つけ、理解するものだからです。
私はキリスト教ではありません、ただの自然崇拝者です。
詳しい程ではありませんが聖書は一通り勉強し、イエスが本当に伝えたかったであろう真実について自分なりの解釈をしています。

 

私はそれを、こういう考えもあるよね、と言いますが決して真実はひとつではありません。
解釈の違いがあれば真実は沢山存在するからです。
だからキリスト教はまったく否定していません。私の扱う魔術では旧約聖書使いますしね!
でも、他人と意見が違うとか、少数派だからといってその解釈が間違っていると、果たして言えるのでしょうか?

 

魔女も魔術師も、知識があり賢くよく考え、伝統を守りながらも新しきものを受け入れてきました。
誰かに習ったからすぐ扱えるようになるだとか、意味を一通り覚えればできるようになることは、確かにやれるでしょう。
しかしそこからよく理解し、自分の人生に当てはめて考えてみるのです。
瞑想やリーディングとは本来そういうことだと考えています。

 

そうして教科書から得たツールで、自分の人生に当てはめ、考えたことが募っていきますよね。
オカルトの様々な分野を勉強すると、その募ったものに共通点があったりするんです。
ひとつの分野だけでは見つけられないような繋がりがあったりする。
私はその共通点が、世界の真理であり、本質なのだと考えています。

 

その本質を外さない限り、知識を盛り込んであれこれ組み合わせたり、魔術を構築したりするスキルが生まれてくるのだとも。
私は料理も錬金術だと思っているのですが、「食戟のソーマ」で主人公は食材探しや食材を知ることから料理をしています。
そんなの自分でやらなくても食材は手に入るし本を読めばだいたい書いてあります。
でも実際に体感してみることで、同時に疑ってかかり、自分との対話で気づきを得て、真実が見えて、料理をします。
ああ、魔術だな~と思いました(笑)。

 

対峙するものと対話する

 

私も実際にハーブや木を育てたりすることで、そのものとの対話ができます。
そのものだけではなくて、大地や水、虫、季節のこともわかってきます。
その体感で得たことは、本を読んだ知識にプラスされていきます。
同時にこうじゃないか?ああじゃないか?というより良い方法も生まれてきます。

 

どこの誰々さんの説、文献、魔術書は数多くあります。
先人達の知恵は素晴らしいものです。
しかし私たちはそれらと対峙するときに自己性を忘れて鵜呑みにしてはいけないと思います。
※何度も言いますがあくまで私の意見ですからね。一般論ではないですよ。

 

またどの説を支持することも自由です。
でも、支持し意見を述べる時は既に自分の説だということを頭に置いておきましょう。
あの偉人が言った説、という言い回しは発言に責任がない気がしましてね。
そしてその説にどんなに自分の考察を取り入れても良いと思います。
だって魔術書は最低限の知識なので。

 

西洋も東洋も本質は同じではないか

 

因みに私はというと、西洋魔術を専攻しており魔女と名乗っておりますが、色々勉強して魔女なのか魔術師なのか呪術師なのかもはや境が曖昧です。
自然崇拝者なので限りなく魔女に近いので魔女にしておりますが、若かりし頃の修行の関係で神仏の心得もあります。

 

私の中では西洋も東洋も言いたいこと(本質)は同じだと考えており、どちらも境なく組み合わせて魔術構築できます。
勿論、それは先人の知恵である古き高等魔術や呪術ができるからです。

 

日本の術式に関しては、「陰陽道や密教系ですね?」と言われますが、うちの血筋は全然違います。
日本の秘術はそれだけではありません。
今の時代、陰陽師もテレビに出るし、教えも秘密ではなくなってきています。

 

渦中にいる者としては、守っていかなければいけないけど他者からの理解も必要だよね…です。
真理は、どんなに叩かれようと支持されたり残っていく。
そうでないものは自然淘汰される。

 

私はこの先も真理を追究して本質を見極めながら、魔術修行していきたいと思います。

 

魔術ブレスレット
↑魔術ブレスレットのページへ!↑

魔術セミナーのページへ!
↑タロットや占星術が学べるセミナー御座います↑

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。