昨今の御朱印ブームであれこれ言われていますが、一部のマナーが悪い人のせいで神社に行くことや御朱印を頂戴することが悪く思われるのは不快です。
有難い、そして必死な気持ちで巡礼をする人もいるし、私は神様と御縁を繋ぐことは素晴らしいことだと感じています。
ということで今宵は正しい参拝のやり方や作法、そして御朱印の意味を記しておきます。

参拝の仕方
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午前中がおすすめ!
様々な時間帯でご参拝していますが、私は午前中(それも朝こっ早く)の境内が大好きです。
神聖な光と空気に包まれている感じがします。
参拝客も少ないのでスムーズに参拝できます。
また逢魔が時といって、夕方頃の日が沈むか沈まないかの薄暗い中も好きです。
神社の言い伝えでは昔は夕方から1日が始まったと言われるくらい、この時間帯は神聖なものなのだそう。
魔女がいたケルトでも夕方から1日が始まっていましたので、繋がっていますね。
鳥居(門)の前で下馬する
神社や寺院では、鳥居を境に神域となります。
神域とは神様が棲んでいる土地ということです。
人間で言えば自分の家の敷地ということです。つまり鳥居は門の役割を果たすわけですね。
こちら下鴨神社の鳥居です。

ここで問題となってくるのが、駐車場がどこにあるのかです。
私の場合は自家用車で神社や寺院まで行きますので、事前に駐車場がどこにあるのか調べておく必要があります。
なぜなら神社の敷地では「下馬する」つまり乗り物から降りることが当たり前です。
乗り物というのは車だけではなく、バイク、自転車、乳母車など全てが当てはまります。
しかし乳母車など一部OKとするところもあります。
そこで注意して頂きたいのが、鳥居(門)をこえた場所に駐車場がある場合です。
敷地の構造上仕方ないのでしょうが、私は「神様にお会いするのに鳥居でご挨拶もせずに敷地内に車で乗りあげる」なんて失礼なことだと思うので、近くにパーキングがあれば有料でもそこを使用します。
むしろ、そんな行為おそれおおくてできないヘタレです。
しかしながら山奥の神社などはパーキングがない場所もあります。その場合は仕方ないので鳥居をくぐるとしても指定の駐車場に停めます。
それからくぐった鳥居まで戻ってご挨拶し、参道を通って参拝します。
中には神社や寺院の敷地の手前に大鳥居がある場合があります。
大鳥居は「山全体が御神体」「島全体が御神体」など、広義での神域を表しています。
当然この場合も下馬します。が、神社や寺院によっては敷地内までは交通機関で来てもOKとするところが多いです。
逆にNGな場所は人間が入ることすらも禁止されている場所が多いです。
鳥居で一礼する
鳥居をくぐる際にはお辞儀(一礼)して神域に入ります。
神様の敷地内に入るからですね。
人間であっても他人様のおうちに入る前にピンポンしますよね?同じです。
今からご挨拶に伺います、という意味で気持ちを落ち着けるためにも、一礼しましょう。
敷地内で殺生をしない
神域に生息する動植物は神聖な神様のものです。
美味しそうな野草があっても、川に魚が泳いでいても、沼に亀が溢れかえっていても、何者も殺生をすることはできません。
つまり、摘み取ったり、捕まえたりすることはいけません。
生き物でなくても、神社や寺院の建物に傷をつける行いは殺生と同じだと思うのですが…
池にコインを投げる、落書きや、ご神木の幹にコインをねじ込むなど…これがもし自分の家だったとしたらかなり無礼ではないでしょうか?
(コインはきちんとお賽銭箱に入れましょう。環境破壊になるからね)
一部の神社では湧き水を持ち帰ることができたりします。
そういった場所には必ず看板などございますのでそれに従って神様に無礼のないようにしましょうね。
参道は端を歩く
参道では端を歩きましょう。
真ん中は目に見えない者どもが歩くところだと言われています。例えばエネルギー(気)だとか、精霊(スピリット)などです。
もしかしたら幽霊(ゴースト)もお参りをするのかもしれませんね(笑)。
手水舎が左側にあることが多いので、私は左側を歩くことが多いです。
左通行じゃなきゃいけないというわけではありませんが、その方が人の流れ的にもスムーズだからですね。
手水舎で禊をする
参道の途中にある水場(手水舎)で手と口の禊をします。
右手に柄杓をもって水を汲み、左手に浴びせ、持ち替えて右手に浴びせ、持ち替えて左手に水を溜めて口に触れます。
口に触れるだけで飲みません。
残った水で柄杓の柄を禊するために、柄杓ごと縦にして水が流れるのにそって柄を綺麗にしてから戻します。
余談ですが手水舎にも神社の神様がいます。
水の神様である龍神様の口から水が出ている手水舎が多いと思いますが、例えばこちらは住吉大社。

うさぎ!
兎にご縁がある住吉大社。兎は子供を沢山産むことから安産や子孫繁栄、夫婦仲の象徴だと言われていますね。
手水舎を見るだけでもとても面白いです。
楼門をくぐる
大きな神社だと楼門があります。こちら例として賀茂別雷神社の楼門。こういうの見たことありますよね?

本宮や拝殿に比べて楼門は派手ですよね。人間の家でいうところの客間でしょうか。
朱色は魔を祓う色でもありますので、ここを通る時には身が引き締まる思いですので、ここでも私は一礼します。
下から見上げるこのアングル、釘を使わずに組み上げる宮大工の技…素晴らしすぎる。感動ですよね。
拝殿でご挨拶する
いよいよこの奥に、ふだん皆さんが参拝できる場所である拝殿があります。
拝殿では、お賽銭箱にお賽銭を入れる(投げ入れずに静かに)、鈴を鳴らし、2礼し、2拍(手を2回たたく)し、ご挨拶をします。
その後1礼します。
- 2礼2拍1礼が基本
- 2礼4拍1礼もあります(出雲大社、宇佐神宮、彌彦神社など)
混雑時は列ができることがありますが、この列に並んでもいいし、並ばなくてもご挨拶することができます。
つまり拝殿の正面ではなくても(お賽銭がなくても鈴を鳴らさなくても)、ご挨拶ができるのです。
時間がない、またはゆっくり長くご挨拶したい時は長蛇の列から外れて、隅っこでご挨拶できるんですよ!
どちらの方が丁寧ということではありません。
神社の方でも混雑時は「横に広がって並び・ご参拝ください」とお声がけするようです。
後の人のことを考えるとなるべく混まないようにスムーズにできるよう配慮したいので隅っこ参拝はとても良いと思います。
大事なのは、神様にご挨拶し、ご縁を結ぶこと。
ご挨拶とは、魔女的に言えばお祈りです。ここでは神様にご挨拶や感謝をすることです。
2礼2拍の後、
〇〇に住む、〇〇という者です。今日は神様に会いにきました。
お会いできてとても嬉しいです。
今日のこの日の喜びを忘れません。
と心の中で唱えます。
これは初めましてのご挨拶であり、人間でも普通にご挨拶するのと同じですよね。
挨拶が一瞬・願いを言うのは失礼
御存じない方が多いので補足しておきます。
初っ端からご挨拶もそこそこに自分の願いを言う…これ失礼すぎませんか?
あと2礼2拍の後のお祈り(ご挨拶)が一瞬で済む人…何を思ってご挨拶しているのでしょうか?
小さい頃から参拝のきちんとしたやり方を教えなかった大人が悪いのですが、勘違いしている人が多い気がします。
願いを叶えたいのであればお百度詣りなど何度も何度も神様にお願いするくらいの必死さが必要だと思います。
また、それが叶った時「お礼参り」が必要ですよ。
現実的に考えるとそれが出来得るのはお住まいの近くの神社かと思います。
遠方に毎日のごとく通えませんものね。また様々な場所で願っていたら、願いが叶った後のお礼参りも大変になります。
私は一宮など神社巡りをしていますが、「神様とお会いしてご縁をつなぐこと」が大事だと考えているのでご挨拶は基本的に「自分の名前・住所・家族構成・職業」を言います。
拝殿の正面から写真を撮るのはどうか
拝殿を撮影する人がいますが、私は基本的に拝殿は撮影しません。
拝殿の奥に神様が棲むといわれる本宮(本殿)があるからです。
写真撮りたいなら撮るのはいいのかもしれませんけど、私には抵抗があります。
神道では「目に見えないものを大事にする、神様が宿る」といわれ、神様を偶像化したりしないし、本宮の中へ入るのも特別な時しか、それも宮司さんにしか許されておりません。
仏教では仏像崇拝がありますが、特別なものは特別な御開帳の時にしか拝むことができません。
そんな特別に扱っているものを写真で残すなど…もってのほかではと。
実際、特別参拝で拝殿に昇段するとしても写真撮影はNGです。
もっと言えば、ふだん拝殿の奥の扉は閉まっていることが多いです。
扉が開いていたとしたら、正面には鏡があると思います。
その鏡が写り込むようにして撮るのはNGすぎます…。
この鏡は、か「が=我」み。
我は神様の間にいる…つまり神様にご挨拶することは、自分の心と向き合うことに繋がります。
扉が閉まっている時、拝殿の外観ならいいかなとも思います。
わざと撮影ポイントの看板をたてている神社もあります。
社務所で御朱印を戴く
拝殿でご挨拶をしたら社務所にて御朱印を賜ることができます。
御朱印は○月○日に参拝しましたという証です。
日付と神社の朱印があれば、後で見返した時に神様とのご縁の軌跡を辿ることができます。
そのためのしるしとして、私は御朱印を戴いています。

こちらは全国一宮神社の専用の御朱印帳です。
この他にも神社やお寺ごとにオリジナルのものや、市販品でも様々な御朱印帳があり、こちらに御朱印を頂戴します。
御朱印は社務所にて神職さんの手書きになります。
混雑時は並ぶこともありますし、神事の際には御朱印受付できない時間帯もありますので、事前に調べておきましょう。
万が一そうなった場合、御朱印が貰えなくても大丈夫です。
きちんと神様にご挨拶できればいいわけで、御朱印を貰うことが本質ではないからです。
神社や寺院によっては、参拝の前に御朱印帳を預けてください、というところもあります。
その方が受け取りがスムーズだからということでしょう。
臨機応変に従ってくださいね。
私の場合はまず社務所の込み具合を見てみます。
着いてすぐが割と混んでないので、先に社務所で御朱印帳を預け、その間に参拝することが多いですね。
帰る時には
参拝が終わり帰る時、鳥居や楼門では一礼します。
拝殿(本宮)は一番最初に参拝するのですが、もし参道に小さなお宮があればご挨拶に回ります。
茶店や売店など楽しみもいっぱい。
楽しんだら感謝の気持ちで帰りましょう。
御朱印マナー悪いは風評被害すぎる
しかし残念なことに昨今の御朱印ブームで人様・神様に迷惑がかかるような参拝をするような、本来の意図からずれるような行いが目立つようになりました。
例えば可愛らしいもの、絵のようなデザイン性重視の御朱印や、スタンプラリー感覚で御朱印を集める人々が増加しました。
フリマサイトで御朱印を販売する罰当たりな輩までいます。買う方も買う方で意図がわかってないですね。
あくまで蜜猫の私的見解ですが、スタンプラリー感覚の趣味はいいと思います。
自分のために様々な神社へ行ってお参りする、その行動力がある人とない人では、実際にやって体感を得た人の方が良いと思えるからです。
先程も言いました、神社は目に見えないものを感じるために偶像崇拝しないのです。
感じるためには現地に行かなければ、感じることはできません。
行かないであれやこれやと講釈する人よりも、行って感じてきた人の方が何倍も良いですし、神社ってそういう場所だと思います。
でも御朱印を販売するのは悪質です。悪質すぎるでしょ!
そんな人は最初から神様なんて信じていないし、こういったルールを守る気がないですよ。
御朱印を売ってお金にしようということを最初から考えてやっているとしか思えない。
スタンプラリー趣味の人々は無知かもしれませんが、興味を持つ位だから神様好きで信心深いと思いますよ。
ルールやマナーを知らない人には教えれば済むことですが、最初から金儲けは目的が違うんだから何言っても無駄ですね。
まとめると私が言いたいことは、一緒くたにするな!です。
ちゃんとご参拝している人が多い中、ちょっと無知の人がいて、少数の悪質がいる…というのをわかってほしいです。
日本の報道によって悪質ばかりが取り上げられるのがまた悪い。
本当にこの問題を危惧するのならば、正しい参拝方法を報道特集しろよと。
参拝や御朱印云々のルール、マナー、作法などは私も記しますし、検索すれば沢山あると思います。
勉強すればいいことですよね。
ひとりひとりの無知によって今後御朱印がなくなったり、参拝ができなくなる神社が増える可能性があります。
すでに日本の各地では昔から超神域により人間は立入禁止というところがありますよ。
そこらへんをきちんと考えて参拝しましょう。
迷惑がかかる参拝について
補足ですが最近は外国人観光客が多く、割と迷惑・失礼なことやってますよ。
神域内の木を切った切り株(しかも注連縄がしてある。つまり神事で切られている)の上に腰掛けたり、立って自撮り棒で撮影してたり。
狛犬の下部(石の台座)に腰掛けていたり。
肌を露出させた服を着ていたり、帽子をかぶっていたり。
逆に私がインドネシア・バリの寺院に行った時、それは厳しいものでした。
肌の露出ダメ、サルン(腰布)を巻くなど。厳重に装備させられましたけども。
心の広い日本の神様ですが、無知は失礼にあたると思います。
御朱印だけではなく、迷惑だと思えてしまう人がいるのは事実です。
神社・寺院の皆様へ
そんなわけで一部の迷惑者のために御朱印がなくなるのはとても悲しいです。
例えば簡素化して朱印と日付だけでも私はいいと思います。全部スタンプでもいいですよ。
参拝したということがわかればいいので。
私もそうでしたが、迷惑行為・神様の失礼にあたる行為は、「知らない」が原因のことが多いです。
本来ならば自分たちの親から教えられ、家族で初詣やお宮参り・七五三など経て、経験的にわかっていくものですが、最近ではそれだけではわかりません。
自分たちの親も、きちんとした参拝方法がわからないからです。
これは神社(神道)も、仏教(寺院)も、どちらもそうです。
神様仏様の職に忙しいとは思いますが、どうぞ正しいやり方など広く伝えてほしいです。
また一般の皆さんがそんな知識よくわからない、自分で勉強できないという原因のひとつに、御由緒が難文だということも挙げておきます。
神道・仏教ならではの言い回しが多くて難解です。
私も何度も読んで、噛み砕かないとわからない部分があります。
現代口語訳してはいけないのでしょうか…現代ではコミックで神話や仏陀の話描かれていますし、わかりやすくお伝えして頂ければもっと広く伝わると思います。
世界、全国津々浦々、参拝してみて
私は山形県にて魔女を生業としています。
魔女とは自然信仰が根幹にあり、自然に対する畏敬の念、享受、共存という生き物全体としての心の在り方を大事にします。
イギリスやインドネシアなど様々な宗教が違う国の魔術を勉強するため修行しましたが、結局どこも自然信仰に繋がります。
そして日本は自然信仰の最たるやと感じます。
例えば大陸だったら敵が四方八方から攻めて来るので人間の方が脅威と成り得ますが、日本は島国で海山川などの自然に囲まれているため自然災害の方が脅威でした。
そんなところから八百万の神、しかも目に見えないものに対して神が宿ると考えました。
この流れ実に魔女の言う自然崇拝なのです。
魔女は季節の巡り、太陽と大地の実りに感謝をするために季節ごとの感謝の行事(儀式)を大切にします。
現代の日本でも残っている祭りがそれです。本当に魔女と同じなのです。

そんな私の観点から、全国の一宮を中心に様々な神社や寺院にご挨拶(参拝)をして巡った結果…
なんだか心がゆっくりする気持ちになります。
あたたかい、目に見えないもので包まれている感じがします。
ひとつのところ(例えば地域の氏神様やお寺さん)と決めてご参拝するのは勿論良いです。それでもいい。
しかし私は様々な神様や仏様に、その場所へ行って、会って、ご挨拶して、その土地の名物を戴いたり、社務所の方々と言葉を交わしたりすることで、何かを感じています。
最初は感じなかったのですが、巡るうちに徐々に、あたたかいものを感じるようになったのです。
そしてそれぞれの神社や寺院へ行くその旅ごとにストーリーがあります。
前日になめくじの夢を見て、こんな夢珍しいなと不思議に思いながら神社へ行ったら、目の前になめくじが!とか、めっちゃ歓迎されてる感じがしました(笑)。
歴史の教科書で習った「高野山 金剛峯寺」や「伏見稲荷大社」はどうしても惹かれて行きたい場所のひとつでした。
とっても長い山道、観光客で沢山の人がおりましたが、それでもご挨拶ができて感無量でした。
思い返すと全てに思い出があります。
そのひとつひとつは私の人生を豊かにする(と思える)に足る、心の糧になっているようです。
神様仏様と心が通じ合う、簡単に言えばお友達になって連絡先交換(御朱印)ができるってことで、一度ご挨拶しているから後に会いたいなと思えばいつでも会うことができる…そんな感じです。
そう思えるとなんだか自分に自信がつくように思えるし、運もいい気がします!
神様仏様にご挨拶することでとても優しい、あたたかな気持ちになれること、皆さんにもおすすめしたいです。