スピリットにお礼を!
今宵は、エスバットの願掛けにまつわるこんな話。
なんだか皆さん、精霊や妖怪を信じないのに幽霊やスピリチュアルは信じるんですよね。
何なんですかねこれ?矛盾してません?
私たち魔女の考えとしてはむしろ逆なんですけどね!
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魔術とは
魔術は願いを叶えるため、昔から研究されてきた魔法のような術を総称しているわけですが、それは自分のエネルギーで叶えるわけではありません。
魔術を勉強または実践する時、どんな術であっても「外のエネルギーを内のエネルギーに変換する」を知ることでしょう。
これは魔術の基本だからです。
そして私たちはいつもこの法則を行っています。
食べること、知識を吸収すること、お金を稼ぐこと…等々。
私たちは外から得たものを自分の糧としているのです。
この原理を理解せず、例えば自然や食べ物に感謝することなどを軽視するのであれば、魔術を行っても叶うことはありません。
何度も言いますが、これは重力の法則と同じように、地球に住むのであれば従わなければいけない法則のひとつです。
精霊や妖怪とは
しかしながらその自然や食べ物に感謝することは、目に見えない部分でもありました。
例えば自然のエネルギーは、山や木や川があることは物質的にわかりますが、流動するエネルギーを見ることはできません。
また食べ物なら、現代ではスーパーにお米もお肉も売っていますが、丹精込めて育てた生産者や、豚や牛を「とさつ」する人の気持ち等は、見ることができません。
私たちは、物質なので結果は理解できますが、過程を見ることはできないのです。
そこで昔の人々は、目に見えないものを大事にする心を子供に養わせるため、「妖怪」という概念を作りました。
西洋では「精霊」とか「妖精」という概念になります。
呼び名は違えど、それらは自然を大事にする心や、「悪いことをしたら罰が当たる」等の教訓を教える役目があります。
世界的な座敷童や家事妖精
妖怪と言えば、日本では座敷童が有名です。
心の綺麗な人が住む家に棲みついて、その家を幸福にするという妖怪ですが、世界各地に座敷童のような「家事妖精」がいます。
シルキー(ケルト)
「絹」という意から傍を通ると衣擦れの音がする、真面目で献身的な家事妖精。
自分の意思で家に棲みつき、主人とそりが合わないと人間を追い出す。
ブラウニー(スコットランド)
棲みついた家を栄えさせる家事妖精。供物が必要。
自分の意思で棲みつく家を選び棲む。
日本でいうところの座敷童。間抜けな子はドビーと呼ぶ。
キキーモラ(ロシア)
夜中に騒ぎながら家事をやってくれる家事妖精。
本人は【こっそり】やっているつもり。
エスバットの願掛けは精霊の力を借りる
エスバットの願掛けの行程で、グラウディングを行います。
グラウディングとは、肉体をもった物質の私たちが私たちである所以である、生命(生きていること)に感謝をするものです、
私たちはなぜ、生きているのでしょうか?
それは沢山の偶然が重なってできた奇跡の誕生でした。
しかしこれが偶然ではなく必然なのだとしたら?
様々な自然の力(熱エネルギーや大気、月の満ち欠けなど)によって「生かされている」のです。
魔術は、私たちの内側にあるエネルギーだけでは決して完成されません。
むしろ外側の力に感謝し、協力して戴くことで初めて「奇跡」のような力が生まれます。
幽霊とは
日本人はこれら精霊と幽霊を同じものとして認識しがちです。
しかし、英語に直すと精霊は「spirit(スピリット)」、幽霊は「ghost(ゴースト)」となります。
前者は目に見えないエネルギー、自然の力や妖怪を表すのに対し、後者は亡くなった人の霊を表します。
日本のメディア番組のせいか、日本人は幽霊を妄信しがちです。
海外の人から見ると、日本人の異常なまでの幽霊への妄信っぷりにクレイジーだと言われます。
またスピリットとゴーストの違いをきちんと理解し、不幸も不思議な出来事も起こるとスピリットの悪戯やラッキーだと思います。
でも日本人は「先祖の祟りだからお祓いに行かなきゃ」「墓参りに行かなきゃ」と訳わからないことを言い始めます。
その感覚を作り上げているのはエセがつくスピリチュアルの影響だと思います。
スピリチュアルとは
勿論、きちんとスピリチュアルをしている人は沢山います。
スピリチュアルは、もともとはスピリットの力を借りているので、ゴーストを悪く言う人たちではありません。
しかし残念なことに、先祖の祟りが…等とゴーストを悪者にする人たちもいます。
祟りがあるかないかは別にして、危機感を煽って鑑定するやり方は霊感商法として法律で禁止されています。
そして危機感を煽られてその人の言うなりになってしまうお客様の、常識や固定観念も問題があると思いますが…
私が言いたいこと、それは、スピリチュアルにのめり込むのは個人個人の自由です。
でもその語源となっているスピリットを信仰せずに、スピリチュアル素晴らしー!と言うのはどうなんですかね?
ゴーストに一喜一憂するのってどうなんですかね?
精霊は私たちと世界を隔てるお隣さん
ところで、もしも妖精に会っても名を口にしてはいけないと言い伝えられています。
妖精は自分の名が知られること、人間に見られることが嫌いだからです。
彼らは「隣人」であり「たまに騙す」こともします。
小さくて可愛らしい妖精のイメージは、シェイクスピアや夢の国の創業者が広めたからであって、私は妖精も天使も悪魔も同じエレメントだと感じます。
満月やサバトの夜、人間に懐くものもいれば、騙すものもいるでしょう。
しかし元は同じもの。
それらは自然が生み出すエネルギー体。
私たちは隣人と棲む世界を同じくして隔てながら共存し、時には助け合う必要があります。
それを肝に銘じて術を行いましょうね。
力を貸して戴いたらお礼をする
エスバットの願掛け儀式で力を貸して戴いたら何かしらのお礼(感謝の気持ち)をしましょう。
傘地蔵だってお礼をする時代です。
これは当たり前のことですが、残念ながら現代ではその常識が薄らいでいるように感じます。
人に対して義理チョコ贈っても義理でお返しがくるっていうのに、どうして目に見えない力に対してはお礼しないのでしょう?
先祖は熱心に供養するのに、太陽や、お山や、お米や豚さんなどの食べ物には、お礼しないのでしょう?
これを続けていると、人間の生産力が落ちていくと思います。
外からの力を受け入れず、内側だけでやろうとしますからね。
あなたの周囲頭上におわす隣人たちにぜひ感謝して、お礼をしてください。
そうすることでエスバットの願掛けは格段に向上すると思いますよ!