瞑想、お祈り、断食、願掛けのやり方まとめ(バリ修行)

ただあるがままに、自然に

2018年11月に魔女蜜猫がインドネシアのバリ島にて、瞑想・祈り・断食などの修行を行いました。

今回はそのやり方や注意点などまとめ記事になります。

違いを知って正しいやり方でやってみましょう!

 

バリ東部プリタマンウジュン(水の王宮)で瞑想修行|黒猫魔術店

 

瞑想

 

瞑想は受動瞑想です。

あぐらで座り、自然のあるがままを感じ、受け入れる瞑想法です。

願掛けの儀式の前に行う「からっぽの瞑想法」もこの受動瞑想に含まれます。

体の部位のどこかが緊張してこわばっていると、うまく瞑想に入れませんのでこちらの導入動画を使ってみてください。

 

 

慣れたら一瞬で瞑想に入ることができます。

 

瞑想の注意点

 

瞑想では「何も考えない」ことをおすすめします。

瞑想によってリラックスしようだとか、何かメッセージを得られると思って行うことは、瞑想の本意ではありません。

行う時は見返りがある、こうなりたい等という雑念は捨てて行いましょう。

 

しかしたまに上からビジョンや、メッセージが降りてくることがあります。

その場合はたとえ意味がわからなかったとしても「受け取り」ましょう。

 

私は朝起きた時と寝る前の2回を行っています。

自分でいつやるのかを決めて、できれば毎日行ってみましょう。

どのくらいの時間をかけるかは敢えて決めません。

集中力が途切れたらやめるようにしましょう。

 

できれば自然の中で行うのがよいとされますが、家の中でも十分に瞑想ができます。

なぜ瞑想をするのか?と問われても、それを正確に答えることができません。

なぜならこれはやり方も含めて、言葉で伝えることができないものです。

 

お祈り

 

お祈りは神様にご挨拶や感謝をすることです。

神社やお寺など神様の御前では

 

〇〇に住む、〇〇という者です。今日は神様に会いにきました。

お会いできてとても嬉しいです。

今日のこの日の喜びを忘れません。

 

と心の中で唱えます。

これは初めましてのご挨拶であり、人間でも普通にご挨拶するのと同じですよね。

 

もし御山に分け入ったりする時(キャンプやハイキング、山登りなど)は

 

〇〇に住む、〇〇という者です。今日はこの道を通らせていただいています。

自然の神様、精霊さんたち、こんにちは。

私は害を成しませんので、どうか通らせてください。

 

と心の中で唱えながら通行します。

山が神様の家だとしたら無断侵入するのは失礼なので、ご挨拶しながら通行するわけです。

 

それから、魔女や魔術師の場合は、「朝夕の祈り」という日課があります。

その祈りとは、朝や夕に感じる自然霊(自然信仰の場合はこれが神ということになるのですが)に感謝をすることを意味します。

毎日行っているので、名乗りは省略しています。英語では「Blessed」です。

 

お祈りの注意点

 

このようにお祈りとは願いを述べることではないことを肝に銘じましょう。

名乗りもしないうちからお願い事を唱える人の何とも多いことか…

自己紹介をちゃんとしましょう、ということで自己紹介が上手な寅さんを引用しておきます。

 

お控えなすって、お控えなすって! さっそくのお控え、ありがとうござんす。

軒下3寸借り受けましての御仁義、失礼さんにござんす。 これよりあげます言葉のあとさき、間違えましたらごめんなすって。

手前生国と発しますは、北陸路 越前の国 福井にござんす。

流れ清き、九頭竜川に生湯を遣い、風光明媚で名高い越前岬の断崖絶壁よじのぼり、 やってきましたのは、花の大江戸八百八町、昨今改めまして大東京にござんす。

おそれおおくももったいない、明治神宮の御社殿に、背を向けまして、トントントン 下がりまして、江戸将軍様の狩場として名高い広尾に住まいおります。

稼業上、親と発しますは、通産一家、23代目総長渡辺修にござんす。

手前姓名の儀、発します。 性は橋本 名は久義、人呼んで、「はっさん」と発します。

お見掛け通り、あちこちの、お兄いさん、お姐さんに、迷惑掛けがちな、 中年にござんす。

以後面体お見知りおきのうえ、嚮後万端、よろしくお引き回しのほど、 おたの申します。(男はつらいよより寅さんの仁義を引用)

 

至極丁寧に、出生と現住所と名前を言っている(下線部)し、九頭竜川や明治神宮と言われればああそこかと想像も容易い。

仁義の自己紹介にこだわる必要はないのですがわかりやすかったので引用してみました。

昔の人は自分の生まれや祖先などよく知って挨拶したものだなあと思います。

 

断食

 

日本人にとって断食はつらいものでしょうか。

だとしてももし精神的修行を望むのであれば、断食は必要不可欠であると思います。

ここに断食の正しいやり方を記しておきます。

 

  • 自分の生まれた日の曜日に断食を行う(つまり週1日)
  • 水は飲んでもよい
  • 断食を終えた後は柔らかいものから食べる

 

「断食をなぜ行うのか?」と先生に聞いたところ「体の中も物理的にからっぽにしないと良いエネルギーが入ってこない」と言われました。

つまり瞑想で目に見えないもの(思考や感情など)をからっぽにできたとしても、胃袋や腸の中に残留物があったり皮下脂肪があったりしては物理的な面でからっぽとは言えないということのようです。

 

また頭頂部(第7チャクラ)から外部の自然的なエネルギーが流出する際に、体の中にきちんと入るスペースがないと入ってこれないとも言われました。

なんでもそうですが余裕があった方が良いということですね。

 

断食の注意点

 

3食たべていた人がいきなり断食をするのは健康的にも悪いと思いますので、その事前準備として2週間~1カ月程は徐々に食べる量を減らすなどの工夫が必要です。

また日本人は、24時間まるっきり食べないことに慣れていませんので、はじめは「陽が出ている間は断食して、陽が沈んだら少しだけ食べる」などの工夫も必要かもしれません。

 

しかしいずれの場合も、目的としては「体の内部をからっぽにすること」ですのでこれがストレスになって精神的にからっぽになれないのならやるべきではない(まだこの修行は早い)と思います。

 

私の場合は普段から1日1食(ただし少量を数回に分けて摂取)スタイルなので、もともとの胃袋が小さいので食べなくてもよくなりました。

たぶんラーメン1杯だと半分残してしまうくらいの胃袋の大きさです。

また普段から糖質とお肉(豚と牛)を控えているので、お腹はすきますが1日食べないことに苦痛はありません。

…というか学校や社会の「定時に食事する」と胃が痛いし体も重いし胸もムカムカするしで、逆に苦痛です(笑)

そういった日々の食生活も肝心なのかもしれないですね。

 

因みに先生は…煙草と水とコーヒーと果物しか食べてないのではと…大丈夫かな?って心配してしまうレベルなのですが、「若いうちは肉食が必要だけど、歳をとったらそれで十分だ」と言っていました(笑)

 

願掛け

 

願掛けはその言葉通り、「願いを唱える」ことです。

むしろ願掛け以外では願いを唱えることはやめましょう。

 

神社でも、お寺でも、神棚でもお仏壇でも、願掛けをするものではありません。

日本人は神社へ行って神頼みをする風習がありますが、きちんとご挨拶して手順を踏まない失礼極まりない人の願いなんて叶うはずがありません。

お百度お参りしたり、お水被りをするのだってきちんとした手順を踏む願掛けの儀式です。

7日間キャンドルマジックや人形呪術をするのだって手順を踏んだ願掛け儀式です。

 

神様に一度お会いしたから、その御前で願いが叶うという認識は普通に考えても誤りだと思うのは私だけかな?

だからパワースポットで開運とかもないと思っています。

願掛けをして叶えるのは自分自身、ということです。

神様や自然や精霊の力は「お借りするだけ」、だからきちんとご挨拶をして友達になりましょう。

 

神様は友達、という意識

 

神様はとても神聖で尊い存在ではあるのですが、バリでは生まれた時から神様は隣にいる「友達・隣人」のような存在。

自分が中央にいて、東西南北の四方で守ったり力を貸してくれます。

 

上記のように精神修行をした人は神様と通じる力(友好度)も強いので、もし悪いことをした時はすぐに罰が当たるのだそうです。

だから本当にきちんとした所で修行を行った人は、「自然あるがままに」生きています。

 

私はこの感覚がとてもよくわかります。

ズルをしたり、誰かに害を成す行いをしたり、誰かを傷つけることをしたりすると、隣人たちが悲しむのがわかる。

特に琥珀の影響はすぐに消えます。霊感がなくなるような感覚です。

そうなると道に迷ったり、地雷を踏んだり踏まれたり、病気になったりと色々な弊害がありましたもん。

 

瞑想、お祈り、断食、願掛けは目に見えないことを鍛えるものですが、決して生半可な意識ではできないことです。

自分にも、自然にも、正直に、あるがままに生きることを教えられているかのようです。

 

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