人と違うことでお悩みの方へ【我思う故に我在り】

素直に生きることのすすめ

今宵は、世間の常識や概念から外れて生きるような魔女さん、人と違っていいじゃないという思想の話。
魔女であることや生き方をカミングアウトすることは難しいのかもしれません。
私のことを強い人だという人もいらっしゃいますが、私はただ自分に正直に生きているだけですし、基本的に楽しいと思うことしかしていません。
【我思う故に我在り】というのを貫いています。

 

星空,占星術

 

生まれつきの霊感

私は生まれつき、この世もあの世も混ざった世界に居ます。
幼い頃は、家の中で常に鈴の音が聞こえていたし (お遍路さんが鳴らすリーン、リーンって感じの)
あの廊下を歩く足音や、子供の騒ぐ声、赤ちゃんの泣き声、 そんな毎日普通でしたよ。

大抵は足が透けていたり、頭が暗くなっていたり、 青緑の光を放っていたりするんですが 、稀に生きてる人間と同じようなルックスをお持ちのイケメンも居て 、普通に話しかけたら他の人に「は?」って顔されるとか。
日常茶飯事でした。

なので物心ついた頃から「ああこれは他の人には見えないものが見えて居るんだ」と自覚して、内向的な幼少時代を当たり障り無く人間と生活しながら、独りぼっちで寂しい夜には窓辺に訪れた黒猫(霊)と会話をしてみたり、じっちゃん(霊)が遊びに来たりして。

でもそれが普通。
私にとっては私に見えているものが全てでした。
先生でも教えてくれないことを魂達は教えてくれたりもしたし、肉体があるとかないとか関係なく、霊やおばけは友達だったのです。

 

人間は醜い。もっと自由でいたい。

 

敢えて言うなら、人間の方が残酷なような気もして。
この世にあることは、あるように見えるけど本当は空っぽで何も無いのに。
虐めたり、陰口叩いたり、足を引っ張ったり。だから余計、魂達の言葉は重みがあって一つずつを悟らせて貰いました。

そんな子供時代を捻くれた感性で生き延びた私は、趣味思考も一般的とはかけ離れた的外れを選びがちです。よく斜め上を越えてくると言われます。
誰かが敷かれたレールを歩くのは嫌だ!なんて名言がありましたけど、私の視界にはレールすら無かったのです。

例えるなら、天才的なモーツアルトの計算されつくした音階よりも、リストの技巧的なこれ見よがしパフォーマンスよりも、ベートーベンの壮大な世界観の方が好きではあるけれども、それすら譜面通りに弾けずにアレンジしては先生に怒られていました。
ハ長調に折角B♭が出てくるのに、フォルテにしないでどうする。
でもダメなんですって。

 

自分の世界と他人の世界は違う

 

このように、物心ついた頃から自分と他人は違うもんだと思い知らされて生きる他なかったため、どうしても自分と他人の間に線があるという前提で物事見る癖があるんですね。
「私の中に、私以外では理解し難い魂達が見えているのなら、他の人の中にも私では理解し難い何かが見えている。」と自然に成り行きでそう思ってました。
だからこれっぽっちも世間を気にしたりとか、人からどう思われてんのとか全く考えてなかったです。

これは自分の娘に対してもそうで、自分の子供というよりは「ひとりの人間として見る」ような感覚です。
でも、これで良くない?

人からどう思われてるのか気にした所で相手をコントロールすることなんて出来ないし、与えてくれないことを嘆いてもそういう人です。ってそのまま受け入れればいいだけであって。
親の責務として子供をある程度コントロールし危険などは未然に防がなければいけない。という考え方もあると思いますが、勿論いけないことをしようとしたら止めますが、転んで痛みを知るくらいは経験させたいので、目を配りますが手は出しません。

 

素直に生きる

 

周りが幾ら騒いでも、私の中の見えてる真実は変わらないのです。
それを勝手に発達障害とかインチキと言うなら言わせておけばいいと思うし、その人の考え方を私は否定しません。
他の人と比べたり、自分は他より劣っていると感じたり、そういうのは誰でもある感情なのかも知れない。

私が思考している限り、私はそこに存在する。
同じ思考を持つ人間なんて居ないからつまり、貴方の思う侭に世界は存在する。

世界は貴方の意志を尊重している。ということになるんです。
だから心に素直に、貴方の思考の侭に生きればいいと思います。

それは誰も否定しない。誰かが否定しても、それは現実世界にあるかのように存在する色のこと。
世界から見ればそれは一瞬の絵空事。
貴方が貴方を否定しなければいいだけのこと。

でも、他の人と考えが合わなかったら私は一切関わりません。
自分にとって有り得ないような考えを否定しないですが、一緒にはいれないと思うからです。
でもそれは自然的なことです。

 

コメント

  • たびたびお邪魔します。
    私は、家族がそういう道といいますか、そちらの世界を、どちらかというと否定的なので、修行は、できそうにありませんし、たぶん、そんな家族に囲まれてる事すら、修行であり、守られてもいるんだと、蜜猫さんのブログを拝読しているうちに感じ入りました。
    できれば、不思議な感覚をコントロールできるようになりながらも、しっかり世俗の修行を生きなければならないのだと薄々感じています(笑)
    私は自分に大きな使命がない事を解っているから、いちいち、クライアントを大きく称えたり使命を与えたがるスピ系やヒーラーさんに、詐欺師的な不快感を感じるんだと思いました。
    私自身は、多分、今時のスピ的感性より、魔女さん達の感性を目指したいので、蜜猫さんのブログ、楽しみにしています。
    依存やシェアは、やはり、集団催眠にかかりやすいでしょうし、ほんとなら、みんなして、疑ってかかるべきでしょうし、シンクロがたくさん起きたから、自分達の感じてるモノが正しいなんて、思考停止もいいとこだと思うので、蜜猫さん達の姿勢に感銘を覚えたのだと思います。
    私自身、多分、やるなら、魔術のが良いのだと思いました。
    生きる力を養うとか、意欲的になるとか。
    人様を癒したり成仏させる力なんて、不確かな事をすぐにできるようになるハズがありませんものね、話がソレてしまい、すみません。
    長々と、失礼しましたf(^_^)

  • そうですね、私も生きる目的のようなものを与えようとする人は嫌いですね。
    だから学校の先生やお医者さんもワイドショーのコメンテーターもあまり好きではありません。
    使命(命の使い道)は自然に自分が決めるものであって、誰かに与えられるものではないですよね。
    魔女の修行を続けていると日々の小さな喜びに感謝したり、手を合わせることで積もる何かを感じることができます。
    でもそれは人それぞれ感じ方が違うので、人それぞれ日々努力していくしかないと思うので、一時的な快楽や承認では本質的なものに到達できない。
    魔術はきっとそれを理解することや、自分自身を理解することで周りの人や世界を理解していくものなのだと思います。
    きちんとそれを広めていきたいですね。

  • こんにちわ。
    私も、自分の中にある不思議な感覚を、無くしたい、もしくは、解明したいと願ってやみませんでした。
    自分をどうにか、受け止めたくて、スピ系やら、ヒーラーさん達のブログをいろいろ拝見した事もありましたが、自分を疑うよりシェアだの、共感だの、集団催眠の間違えじゃ?と、不快になります。
    同族になりたくなくて、悶々としていましたところ、蜜猫さんのブログにたどり着きました。
    私は、あくまで、知恵や、自分をコントロールする術を模索してるのであって、スピ系の仲間が欲しいワケでも、そちらでビジネスするつもりもなかったので…
    でも、やはり、不安定な時とかは、今でも、何かを感じると、めんどくさくて、嫌気がさしますが…
    私もスピ系の人間と思われるのは、嫌ですが、魔女さん達に惹かれました。
    もう少し若かったら、弟子入り志願したかもですf(^_^)

  • こんにちは、コメントありがとうございます。
    お気持ち凄くよくわかります。
    私は幼い頃から祖母に訓練をされましたが、普通はそれすらもできない、知らない人が多いと思います。
    環境的に私は恵まれていたと思いますが、知らない人はもっと辛い思いをされたと思います。
    そんな辛さを知ってたら、簡単に能力使おうとか、開発することは危険だとわかりますし、本当に面倒な時あります(笑)。
    きちんとした知識や理解を広めていきたいです。

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