オシラサマ?伝承園へ魔女が探訪(岩手県遠野市)

なぜ馬なのか?願ってもよいのか?

岩手県遠野市にある「伝承園」。

かつての農家の生活様式である曲がり家(古民家)に不思議なお堂があります。

ここには約千体のオシラサマと呼ばれる神様が展示された「御蚕神堂(おしら堂)」があるのです。

そんな昔話や妖怪伝説が残る遠野へ魔女が行ってみた話。

 

オシラサマ?伝承園へ魔女が探訪(岩手県遠野市)|黒猫魔術店

 

オシラサマとは?

 

オシラサマは、岩手県・青森県などで、養蚕の神、家の守り神、子供の神、火の神、目の神、狩りの神、女性の病気治癒の神として信仰されています。

 

オシラサマは、桑の木を芯にして、雄頭、姫頭、馬頭、烏帽子頭などの頭部の形があります。

頭に布をかぶせるようにして服を着せます。

オシラ堂ではこの布に願いを書いて着せることが多いようですね。

毎年「オセンタク」という祝祭に服を着せます。

 

年に一度オシラサマと遊ぶ「オシラ遊び」をしないと祟りがあると言われています。

また稲荷信仰と同じで一度願ったらずっと信仰を捧げないと祟りがあるとも言います。

 

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オシラサマの由来

 

オシラサマの由来には地域によって説が様々あります。

青森県ではオシラサマに関する儀式をイタコが行うことから、呪術的な繋がりもあるのではないかと考えています。

 

岩手県の伝承

 

昔、ある農家に娘がおり、家の飼い馬と仲が良く、ついには夫婦になってしまった。娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。

娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。

すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇り、おしら様となったのだという。(Wikipediaより引用)

 

青森県の伝承

 

かつて盲人が峠の空家に泊り、寂しさを紛らわすために歌を歌っていると、歌を所望する女の声が聞こえたので、何曲か歌ってやった。

夜明けの頃、女の声は自分を「たこ」と名乗り、自分のことを話せば命はないと戒めた。 里に降りた盲人が、つい村人に昨晩のことを話すと、そのまま死んでしまった。

そこに「たこ」が現れ、村人たちに対しても、自分のことを他言した者は死ぬ上に村は沼に沈むと言った。

そこで村人たちが峠の周囲を鉄柵で覆うと「たこ」は峠に帰れなくなり、そのまま死んでしまい、その正体はヘビであった。

村人たちは「たこ」と盲人を神として祀り、これが後のおしら様だという。(Wikipediaより引用)

 

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なぜ馬なのかという疑問

 

さてこの伝承をお聞きになって皆さん思うところがおありでしょう、そうです、なぜオシラサマは「馬」なのかということです。

 

私も東北に住んでいますが日本海側ではオシラサマのような信仰はあまり聞きません。

山形県酒田市のお隣、鶴岡市は昔から養蚕でシルク製造しており、今でもその動きが残っているのも関わらず養蚕の神というのはいません。

まして馬の頭の神様や、動物と交わる「異類婚姻の神」というのは珍しいものかと思います。

 

そこで私はいくつかの理由を調べてみました。

 

曲がり家という特殊な家

 

当時の民家は「曲がり家」というL字型の家に住んでいました。

一方が住居、もう一方が馬小屋です。

風呂やトイレが家の外にあるにも関わらず、人と馬が一つ屋根の下という構造。

 

この住宅様式は、イエメンの砂漠の民や、南イタリアなどにも見られ、遊牧民など牧畜・放牧をして暮らす人々に活用されました。

しかし日本は牧畜の文化は薄いはず。

どうしてこのような文化が生まれたのでしょうか?

 

馬の方が位が上だったのではないか

 

江戸時代の暮らしを調べてみると、この馬は実は藩からの預かり馬だということがわかります。

藩から馬を預かって、普段は農耕や運搬などの仕事をやりながら農家が馬を育成・繁殖に努める。

戦になればその馬を藩へ送り出す…そのようなシステムであったため、ともすれば藩の所有物である馬の方が農民よりも位が高かった可能性すらあります。

そんな馬を農民は大事に、大事にするあまり、何かあったら困るからと曲がり屋という家屋で一つ屋根の下で生活したのかもしれません。

 

実際の馬も神様的であった

 

当時、農民たちは馬なくしては生活できない、かと言って馬を所有するだけの財力はない、というスパイラルに陥っていました。

これは岩手県だけに限らず、馬預かりの制度を設けた藩であればどこの農民も抱いていたようです。

また遠野市では「デンデラ野」という「姥捨山」の伝承もありますが、人間のお婆さんを山に捨てるほど困窮していたにも関わらず、馬は捨てない(手放さない)ということが言えるのではないでしょうか。

馬が人間よりも上位であり、神的な存在であったことが伺えます。

 

デンデラノは死を待つだけの姥捨山ではなかったはずです。

柳田国雄の遠野物語を読めばわかると思われますが、親を捨てたわけではないでしょう。

老人たちは還暦になると自らすすんでデンデラノに入って行った。それは未来の命を繋ぐため。

そしてデンデラノに住む老人たちも野良仕事を手伝っては僅かかもしれないが食料や小銭を貰い暮らしていた。

亡くなれば家に帰り手厚く葬られたといいます。(この記事のコメント欄より頂いた読者様から)

 

私の「お婆さんを捨てた」という書き方が軽率で誤解を生じやすいと思いましたので追記致します。

私が言いたかったのは、命を粗末にしているわけではありませんが、そうして老人たちがデンデラ野へ行くと決意する背景にはやはり馬が大事(つまり馬を殺すとか手放すとかいう考えがない)に思う心があると思いました。
どの地域でも姥捨山はあったと思いますが(姥捨山でなくとも口減らしなども含む)、そんな困窮の最中にも家畜に対して優しいと思うんですね。
ちなみに昔々のうちの実家ではそんな時、家畜を売ったり捌いたりしました。

 

そんな馬と我が子を交配させて繁栄を願う

 

ということで、家主の気持ちにたって考えてみるに、家の将来繁栄を願う時、この馬の存在というのは欠かすことができなかったのではないでしょうか?

 

この地は飢饉もあり一揆も頻繁に起こっていた土地です。

明日何が起こるかわからない不安=馬を失う不安=それすなわち生活できない、飢え死にするということに思考は繋がります。

現代ならお金がないことが飢え死にに繋がるかもしれませんが、農民は農耕や運輸を手伝ってくれる馬がいなくなれば飢えに直結していたのですね。

 

そんな時、人間と馬が婚姻することがあれば、馬はずっと家にいてくれます。

つまり政略結婚というやつですね。

勿論、現実的には馬相手に婚姻なんてできないですよ。

でもそう考えてしまうほど、馬は家にずっといてほしいし、家を守ってくれる存在だったのかもしれない、ということです。

 

オシラサマの話は中国から来たのではという説もありますから、あくまでもこれは私が好きで調べたことということで。

真実はわかりませんが、調べれば調べるほど当時の暮らしに根付いている感じがして腑に落ちました。

 

西洋の馬の意味とは?

 

聖母マリアがジブリール(ガブリエル)から受胎告知を受け、その後出産したのが馬小屋でしたね。

やはり馬に関することって西洋でも特別な意味があるのではないでしょうか。

 

馬や馬蹄モチーフ(U型のモチーフ)は、人生を情熱をもって歩んでいくという意味があります。

神々の乗り物でもありますし、戦でも扱われてきました。

馬蹄=幸運、と思われている人が多いかと思いますが、その実は意思を強く持ちたい時に使用することで前向きに、障害ですらぴょーんと乗り越えて行けるという意味です。

 

遠野物語に登場するその他の似た神

 

遠野物語では、オシラサマの他にも似たような神が登場しています。

 

オクナイサマ

 

オシラサマと同様の神で名前だけ違うと言われています。

オクナイサマは人型、人の顔を模しており、家の神、作物の神と言われています。

(西洋風に言えば、地母神的な扱いが強い。)

 

座敷に神棚を設けて祀り、遠野物語では子供の姿になって農業を手伝う様子が描かれているようですね。

「奥内様」が由来ではないかという説。

 

コンセサマ・オコマサマ

 

木や石で男根を作りそれを祀る信仰。

日本各地によくある信仰のひとつ。

西洋では男根(男性性)は太陽の恵みや権力、地位を表します。

 

オシラサマに願ってもよいのか?

 

さて若干話がそれましたがオシラサマの話に戻します。

そのように昔の伝承というのは、その当時の人々の暮らしや風習の中で願望や苦難を盛り込んで後世に伝えられると考えます。

 

例えば暴れ川(氾濫を起こしやすい川)の近くに住んでいる人は龍神様の信仰があるかもしれないし、山里の近くに住んでいれば稲荷信仰があるかもしれません。

オシラサマも馬を大事にする風習があり、多くの人に信仰されてきました。

 

しかしオシラサマを信仰しない人にとっては、やすやすとお願い事をして良いものなのでしょうか?

稲荷信仰のように、「一度お参りをしたらずっとお参りを欠かしてはならない」「先祖代々、ずっと信仰しなければならない」と言われれば腑に落ちる感じもします。

それらは本当に神様が祟るのでしょうか?

 

神様(自然)に願うとは何か?

 

私はこう考えます。

日本には様々な神様がいらっしゃり、神様自体は「自然の力」という目に見えないものをイメージしやすいように人間が勝手に具現化・偶像化しただけに過ぎないので、神様に良いも悪いもありません。

 

日照り・長雨・台風・津波・洪水。日本では多く起こってきたかと思いますが自然の力は人間が完全にコントロールできません。

でもこれが起こると、飢饉や戦争に発展してしまいます。

そんな時に神様に祈ったり、自然に感謝したり、生贄を捧げたりして、「人間の方の気持ちを鎮めてきた」。

 

ですから、オシラサマであろうと、龍神様でも、お狐様でも、人間の方の気持ちがしっかりしていなければ願ってはいけない…このことをきちんと戒めるために「ずっと信仰しなければいけない、それほど覚悟が必要なのよ」と説いたのではないでしょうか。

つまり神様(自然)相手に軽い気持ちで祈ったり、願ったりしてはいけないよ、という戒めです。

 

私は、神様(自然・宇宙)からすれば、人間ごときの命は塵みたいなものだと思うし、そんな塵がどこに舞っていようと気にも留めないし、意思があるだなんて微塵も考えないと思うんですよ(笑)。

言葉通りの微塵子が、支配する側の神に対して、自己中粋がってたり軽い気持ちで縋ろう依存しようなど、「まず身の丈を知れ」と突っ返されると思うのですよ(笑)。

 

それを今度、「願いが叶わなんだ」と神にくってかかる。

私は人間て勝手だなぁと思いますが、神様(自然)はそんな人間のこと別に大して考えてないですよ。

 

何が言いたいかと言うと、きちんと一生懸命願うなら良い。

でもその願いを叶えるのは神様(自然)じゃなく自分の努力だってことです。

勿論、神様が後ろ盾してくれたら守られている感じがして心強い、と思う人は神様を味方につける(信仰する)のも良い。

でもそのご加護は、きちんと祈り供養する人にしか現れないでしょうよ。

何故ならご加護を感じているのは自分自身だからです。供養してなきゃご加護感じる訳ないじゃん。

 

因みに私の場合は、このような信仰のところへ赴いた時には願ったり祈ったりしません。

「拝見させて頂きます」「通らせて頂きます」とお断りして見せて頂くだけです。

願い事を書いたり、願いを記したもの(オシラサマの場合は服ですが、絵馬でも短冊でも同じ)には絶対に触りません。

そんな人の念が入ったもの触れないですわ…

 

願いは布に書け!

 

最後にひとつだけ。

オシラ堂ってすごい神聖で綺麗な場所で、ここだけ空気感が違って、ちゃんとご神木(桑の木)が中央にあります。

注連縄もあります。そんなところなのに。

 

なぜ壁に落書きする輩がいるのでしょうか。しかも相合傘が大半。

いくらつがいの神様だからって壁に相合傘の落書きはおかしいでしょ。

 

先ほど、神様は人間なんて気にしないと書きましたがこういう礼儀のない人には罰が当たってほしいと思いますね。

というかそんな軽い気持ちでよくお堂に入れるもんだ!

 

願いは布に書いてオシラサマに着せるのが正しいやり方です。相合傘はここに書きましょう。

ルールとマナーを守ってきちんと拝見いたしましょう。

 

 

コメント

  • Wikipediaは素人でも書き込むことができ信憑性もなく主観的なことが多いのでこういったことの引用としてはいかがなものかと思いました。本を読んでいらっしゃるなら本から引用されてはいかがでしょうか。柳田以外にもオシラサマについての研究本はあります。デンデラのこともオシラサマについてもこの記事を読んであなたの考えをそのまま真実のように受け取る人がいると困ります。

  • 粟島さんが私の記事でご不快な思いをされておられましたら、本当に申し訳ありません。それほど遠野物語がお好きなのだとお見受け致しました。
    あくまでも私の考えですが、事実確認ができ誰しもがアクセスできるソースとしてはWikipediaは優秀だと思いますよ。
    ただしその全てが正しい情報とは思っていません。
    (例えば魔女やサバトを調べると「俗世間の一般的解釈」が記載されていますがそれは真実とは異なります。)
    今回引用した部分(オシラサマのなりたち)についても私としては言い伝えの部分と相違あるようには感じませんでしたが、もし何か間違った箇所があるようでしたらその部分をご指摘願えませんでしょうか?

    また私の考えをそのまま鵜呑みにされると困るというのはどういう意味でしょうか?
    研究者側も、それを読む人も、それぞれの感じたこと、意見など様々あり、それをディスカッションしていくものだと思います。
    私も研究する上で他の方々からのご意見はとても貴重だと感じます。
    しかしそうして意見を交わしてもおそらく答えはでないことだと思います。
    どんなに歴史の事実があっても、民俗学や宗教の分野は、そこに住まう人の心やdeviceまで影響するので、見えないものを全て証明できないと考えるからです。
    つまり何が真実で、正しくて、というのは正確にはわからないと思います。

    今、一般的に言われている柳田氏の物語の内容や、その研究者たちの内容を勿論否定するのではありません。
    これは私が遠野へ行って、ただ感じたこと(考えること)をレポートにまとめただけのものです。
    つまりこれを鵜呑みにする必要はないし、どんな人でも賛否両論お好きに解釈頂ければよろしいと思いますし、遠野物語に限らず全ての本や伝説や風習などもそうだと思います。

    元記事のデンデラ野の件では他の方からのご指摘も受けております。
    誤解を防ぐためにも長文で記させて頂きましたが、決して他意はございませんことご理解くださいませ。

  • お返事頂きありがとうございます。
    すみません。遠野物語には…というくだりもありましたね。
    『馬の方が大事だった』を云いたいのはわかっているのですが、お婆さんを捨てたという表現に引っ掛かったので…
    家畜を売ったり捌く、自然と共に生きるには特別なことではなかったのでしょうね。

    自給自足で鶏を飼い卵をとる、牛を飼いミルクを搾る理想ですが大変なのも知っています。
    自然と共に生きる魔女の生活は羨ましいです。こちらが近所でしたら魔女修行をお願いしたいのですが埼玉からでは少し遠いですね。何よりアラフィフでは(笑) ソロでの修行を試みては挫折しております。
    いつかお店に伺えたらと思っております。

  • いえいえ、こちらこそ表現の仕方が軽薄で申し訳ございません。
    様々な地域のことを調べたり、実際に行って感じると思うのですが、東北の内陸部は当時特に困窮が酷く飢饉もよく起こっていました。
    当時の人がどのような気持ちでいたかは推測するしかないですが、本当に自然と共に生きる信仰を大事にしていたのだと思います。
    それらは東北の随所で見られる信仰なので、旅行がてら遊びに行かれるのもおすすめです!

  • オシラサマについての話の中での事なので、コメントするのも躊躇われるのてすが、気になりましたので

    デンデラノは死を待つだけの姥捨山ではなかったはずです。柳田国雄の遠野物語を読めばわかると思われますが、親を捨てたわけではないでしょう。老人たちは還暦になると自らすすんでデンデラノに入って行った。それは未来の命を繋ぐため。

    そしてデンデラノに住む老人たちも野良仕事を手伝っては僅かかもしれないが食料や小銭を貰い暮らしていた。亡くなれば家に帰り手厚く葬られたといいます。

    馬より人間の命を粗末にしたわけではない。口減らしをするなら将来働き手となる子供より、老い先短い自分。力仕事が出来ない自分より馬。
    もちろん馬は神聖なものだった事もあるでしょう。
    自給自足をしながら子孫を繋いでいくために親が子に出来る精一杯の事だったのではないかと思います。

  • コメントありがとうございます。
    勿論、遠野物語読みました。仰る通りだと思います。
    私が言いたかったのは、命を粗末にしているわけではありませんが、そうして老人たちがデンデラ野へ行くと決意する背景にはやはり馬が大事(つまり馬を殺すとか手放すとかいう考えがない)に思う心があると思いました。
    どの地域でも姥捨山はあったと思いますが(姥捨山でなくとも口減らしなども含む)、そんな困窮の最中にも家畜に対して優しいと思うんですね。
    ちなみに昔々のうちの実家ではそんな時、家畜を売ったり捌いたりします…(;^ω^)

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