バリの自然信仰や心の在り方を学ぶ
今宵はバリの神話とパワースポットの話。
2018年4月に蜜猫が魔女修行に訪れたバリは、ラーマヤーナの神話や4大属性の精霊たちが棲むパワースポットでした。
運気を上げたい人必見の、魔術の基礎理論を信仰しているバリ!すごいよ!
index
バロンとランダの陰陽説
魔術や陰陽道、その他世界各地の土着信仰に見られる、陰陽という理論があります。
相反する2つ(例えば光と影や男と女など)は常にバランス良く共生しているというものです。
全てのものは、この陰陽で成り立っていると言ってもいい位、どちらが欠けてもいけないもの。
そしてその間に立って舵を取りコントロールし均衡を保つのが人間です。
バロンとランダの物語はこの陰陽の理論がいかに大事かを伝えています。
バロンダンスの意味
バリでは各所で伝統的なバリ舞踊が披露されています。
バロンダンスは、聖なる光の獣バロン(日本の獅子舞のようなもの)と闇の魔女ランダが登場しますが、結局はその戦いが終わらないという物語なのです。
バロンとランダはそれぞれ陰陽を表します。
バリ人の説明では、人間は良い心(バロン)と悪い心(ランダ)を持っていて、どちらかをなくすことはできないから、コントロールすることが大事だとのこと。
悪い心は人間にとって必要?
良い心と悪い心で解釈すると、悪い心いらないじゃん!と思うかもしれませんが、これは適切な言葉ではないかもしれません。
例えば、恐怖やトラウマ、コンプレックスなどは誰にでもある悪い心だと思いますが、これらはある意味、自己防衛反応なのです。
恐怖を繰り返さないように恐怖を覚えておく機能が脳に備わっているということですね。
だから悪い心を仮になくしてしまったとしたら、それは無鉄砲に危険に突っ込んでいくことになります。
必要悪ってことですね。
バロンはお祭りでも大人気
バロンちゃんかわいい。
タマンアユン寺院にあるバロンは、装飾が全て米や稲、コーン、豆でできていました。
ケチャダンスから学ぶラーマヤーナ神話
バロンダンスと並び人気なのがやっぱりケチャ。
バリ人が大好きなラーマヤーナ神話に登場する、ラーマ王子とシータ姫のドキドキハラハラ物語!
昼ドラなんて目じゃないですよ!
何故なら、ジブリ映画のラピュタのパズーとシータのモデルなんですから!
ラーマヤーナ神話はとても長いお話ですが、そんなわけでとても面白く読めるし、動物も沢山出てくるのでおすすめです!
ケチャダンスの物語の意味
ある日、仲良しカップルのラーマ王子とシータ姫は森に狩りにでかけます。
そこで黄金の可愛い鹿に出会い、シータ姫「あれ欲しい!」とお願い。
「じゃとってやるよ」と現代ならまるでクレーンゲームのノリで狩に夢中になります。
ラーマ王子が目を離したその隙に大魔王に拉致されるシータ姫。昼ドラも吃驚展開。
遠く離れた古城に拉致監禁されます。(このあたりまるでゼウスのエロおやじに似てる)
ラーマ王子がようやくそれに気づき、友達のお猿のハヌマンに、「ちょっと様子見に行ってきてよ、お前空飛ぶ雲持ってたよな」
そう、このお猿、実は孫悟空の元ネタです。
ハヌマンがひとっ飛びして監禁されてるシータ姫の元へ行って王子の指輪をチラつかせ、「オラ味方やで!そんなことよりもうすぐ王子が助けに来るで!」
せやかて工藤…今助ければいいんじゃ?と思った読者は私だけではないだろう。
筋斗雲の速さのせいで助けに来るのに時差があった模様。
なんやかんやあって、ラーマ王子とお猿の大軍攻めが成功してめでたしめでたしとなるのです。
バリ人は本当に神話好き
ケチャダンスは10人ほどのメインキャストの他にも、歌とダンスを行う男性キャストが周りを取り囲んで行われます。
約1時間ほどの演目なので、この男性キャストの方々は歌いながらリズムを刻んできっとトランス状態になるに違いない。
フィギュアスケートなどをご想像いただきたいのです。
トランス状態に入った人の演舞は迫力があって感動しますよね。
大人数でダンスに打ち込むほどバリ人は神話や精霊たちを大切に思っているんだなーと思いました。
ラーマヤーナの教えは、ラーマ王子が人間からも動物からも信頼され仲良しであり、良い行いをしていれば助け合うことができるということでしょう。
先のバロンとランダにも見られるように、こうした自然や目に見えない心の在り方を諭しているのが、バリの思想です。
パワースポット、テグヌガンの滝
さて、ここでひとつパワースポットをご紹介しましょう。
ウブドの南方にある、自然滝、テグヌガンです。
観光客多めなので通路は舗装されていますが、一昔前までは本当に崖と山道だったそうです。
このような滝や山などに神秘性を感じで、拝み祈ったりする心は日本人と同じです。
皆さんもこの滝の素晴らしさが伝わってきますよね。
現代日本人の心に足りないものがバリにある
同じ八百万の神信仰があるけど、日本人は平和で、当たり前の幸せが当たり前すぎて、祈る心を忘れているように感じます。
祈りとは、お願いとか神頼みということではなく、感謝を言います。
例えば、バリでは水、火、風、山、海、などの自然霊(スピリット)に対して毎日供物とお祈りをしています。
して貰ったことは対価として何かしらの物や方法でお返しするという精神が根付いています。
でも日本では、そういったことは昔はあったかもしれませんが、今では廃れてきているように思います。
毎日供物を捧げてお祈りしろ!ってことじゃないですよ。
当たり前に享受されているもの(水や食べ物や空気など)に対して、ほんの少しの時間でいいので感謝できるといいと思うんです。
海外へ行っていつも思うことは、日本は本当に恵まれすぎています。
余分なことまで恵まれすぎてます。
だって帰国して家族に「バリは平和だったよ、日本はどう?」と聞いたら「まあ平和だよ。山口以外はね」と言われたんですよ。
それこそが平和だよ…芸能人のネタがニュースになっている。
テロや殺人、戦争、貧困、感染病。そんな国もあるのにね。
比べたら悪いかもしれませんが、日本に生まれてきただけで本当に幸運なことだと肝に銘じ、日々感謝して過ごそうと思うのでした!