瞑想はご挨拶と感じること
バリ島の東、カランガッサム県にあるプリタマンウジュン。別名「水の王宮」。
ここは湖に浮かぶオランダ様式を取り入れた王宮庭園で史跡公園です。
2018年11月に魔女蜜猫がインドネシアのバリ島にて、瞑想・祈り・断食などの修行を行いました。
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プリタマンウジュン「水の王宮」
タマンウジュンはバリ島の東部に位置する史跡公園。
プリ=王宮、タマン=公園、ウジュン=外側、という意味があるそうです。
アグン山の噴火によって廃墟となっていましたが、近年整備されてモダンな雰囲気になっています。
オランダ様式の建築を取り入れているので、庭園も左右対称で、高台にはパルテノン神殿(廃墟マニアにはたまらない)のような建物があります。
この高台からの絶景が人気スポットでありますが…
蜜猫、瞑想修行中…
実はこの時まさに体調が悪く、広い公園内を歩くこともできず、お堀のほとりでひとり瞑想していました。
と言うのも「その体調悪さは神様(スピリット)が何か伝えようとしている」そうなんです。
日本人あるあるでは「私この場所(神社など)入れない!」=「神様や場所と相性が合わない」と考えることが多いですよね。
でも先生の説明では、合わないということはないそうなんです。
それは何かが刺激されたり、影響を受けたりして出ている反応で、悪いものではないとのこと。
だから何を伝えたいのか理解するために瞑想しようね…と。
なるほど、前者はなんとなくエゴ(自我)的ですが、後者はより自然と共生していて自然の一部になった自分(エゴ超えてる)の考え方かも。
合う合わないとか、好き嫌いというのは得てして主観ですものね。
ということで、すっごく吐きそうなの堪えて…瞑想がんばります。
※アリが沢山いたので地べたではなくベンチで行っています。本来はあぐらの姿勢です。
タマンウジュン、絶景!
その間にまほ婿氏にタマンウジュンの絶景の写真を撮って頂きました。
中央の水の王宮
中央の王宮へ行くには渡り廊下になっている橋を歩きます。
これがバリっぽさよりもヨーロッパな雰囲気がして素敵。
アジアとヨーロッパが融合している風景って大好きなんですよね。
日本に例えると明治時代とか(明治物に弱い私…)。
王宮の中は天井が高くて風通しが良く、外よりも涼しいです。
こんな建物の中でのんびりしたいなぁ。
壁の彫刻にガルーダがいるので、彫刻はバリだけど建物はオランダっぽい?
でも窓の形は…うーん?イスラムなのかな?(建築に疎い)
ガジュマルのご神木
立派なガジュマルの木もありました。
ここに祭壇があるので、このガジュマルの木も神様としてお祈りを捧げているのですね。
日本だと注連縄を飾るのと一緒ですね。
噴水
水の王宮らしい、ラーマヤーナ神話モチーフの噴水。
白鳥の口から水が流れているのいいですね!
動物たちがくつろぐ
毛並みがもふもふした鳥…クイナに似てる。
まほ婿氏、テンション上がり過ぎてこんな写真しかないですよ…何枚もあったのにこれがベストショット。
でも可愛いですね。
スピリットにご挨拶する意味
肝心の瞑想の成果ですが、体調が悪すぎてここでは何も見ることができませんでした。
しかしここの神様(スピリット)にご挨拶できたので私は満足です。
日本でも神社やお寺へ参拝する時も、願いを言うよりはご挨拶が多いです。
「会いに来ました。こんにちは。」という感じ。
一度会ったことがある神様ならいつでも会える気がするし、その時に長話をすればいいかなと思ってね。
会って早々質問攻めしたり、願いを言ったりしたら、普通に人間同士でも嫌になるんだから神様も嫌に思うだろうなと。
それに素敵な人に何度も会いたくなるように、気になる神様だったらまた何かのご縁で出会える。
そう思えるようになったのもバリの信仰に触れてからだなあ。
神様をいつも隣に感じて大事に思っていて、自然に背くことをすれば罰があたると考えているところ。
ケルトの自然信仰と同じです。
しかし神様のためにお祭りでは生贄を捧げるというのも同じ。
一見残酷に聞こえるし、世界的に生贄廃止しようという動きがあるけれど、それ以上に食べ物を粗末にしたり大量廃棄したりと一番人間が自分勝手だなと思います。
考えなければならないのはその教えや行事がどのように人の心に教訓として留められるかですよね。
タマンウジュンの瞑想では見えなかったけれど、今まさにこんなことを考えているのだから、こういうことを伝えたかったのかもしれませんね。
その時に映像や音で教えてくれるものだけじゃないのかもしれません。
タマンウジュン、とても静かで広いのんびりとしたスポットです。
デートやピクニックにぜひどうぞ。飲み物絶対必要ですよ!広いから!