地獄と極楽は表裏一体かもしれない
青森県むつ市にある霊場・恐山。
ここには古くから山岳信仰を元にした地獄と極楽の光景が広がっています。
霊場にふさわしく神聖でおごそかな空気感です。
今宵はそんな霊場・恐山へ行った際に心霊・地質・神様などをまとめたレポートレポートです。
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恐山ってどんなところ?
恐山は、1200年前に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)様によって開かれた霊場、恐山菩提寺(曹洞宗)。
素晴らしいこの地の景観を霊山と呼ぶにふさわしいと感じられ、地蔵菩薩様を彫刻して、ご本尊とされました。
恐山は、カルデラ湖である宇曽利山湖を中心に8峰の山があります。
- 釜臥山
- 大尽山
- 小尽山
- 北国山
- 屏風山
- 剣の山
- 地蔵山
- 鶏頭山
これがあたかも8弁に花開く蓮華に例えられます。
恐山は遠くなんかない!
私は今回の研修旅行で一番訪れたかった場所、それがここ霊場恐山です。
「下北半島って遠いわ…」と思って重い腰が上がらなかったのですが、いざ計画を立ててみると車では、山形⇔金沢と同じ位の時間で山形⇔恐山へ行けることがわかりました。
新潟県も長いと思いましたが東北も広すぎる。
しかし車で10時間くらいは慣れました(広い東北人の移動距離的価値観)。
何が言いたいかというと、「遠い」っていうのは本気で行きたい!と思えば解決される言い訳なんだなぁ…って(笑)。
「恐山」怖そうだけどむしろ神聖
道中の峠越えあたりから生臭い香りが車の中を漂います…あ!これ硫黄か!!
するとすぐに恐山の入り口、賽の河原橋が見えてきます。
ここには奪衣婆と懸衣翁の像があります。
奪衣婆と懸衣翁と賽の河原橋
- 奪衣婆…亡者の服をはぎ取る。盗賊の場合は指を全部折るよ。
- 懸衣翁…その服を川の畔に立つ衣領樹に服をかけ、その重さによって生前の業を見、死後の処遇を決める。
処遇が決まると船着場から地獄へ行くのかな…硫黄の香りが本当に地獄っぽいけれども、ここはカルデラ湖である宇曽利山湖(うそりさんこ)です。
「うそり」はアイヌ語で窪みという意味だそうで、昔はうそり山と呼ばれていたのが訛って「恐山」になったそうですよ。
アイヌにとっても神聖な湖だったのか…本当に綺麗です。
参道と山門
入山受付を済ませたら総門から参道を渡って行きます。
両側には四十八燈や、地蔵菩薩様、湯小屋があります。
恐山での風車はお花の代わりのようでとても綺麗ですね。
そしてこちらは山門。
両脇には阿吽の像があります。
正面の地蔵殿から左手に下り、順路を辿って行きますが硫黄の香りが本当に強いです…!
無間地獄の風景
ここが一番、硫黄の香りが強い無間地獄と呼ばれる所です。
火山ガス(亜硫酸ガス)がもくもく噴出している様子は、まさに地獄っぽい風景だなと感じます。
ガスが濃すぎてロープ張られています。
小石を積んで山型にしたものがいくつもあり、まるで賽の河原で子供が石を積む伝承を呼び起こさせます。
ところで画像は一切加工していない普通のiPhoneのカメラですが、なんかいつもと違う雰囲気伝わりますでしょうか?
奥の院不動明王
濃い火山ガスから逃げるようにして(失礼)、小高い丘の方へと順路を辿ります。
上の方へ行けば幾分か硫黄の香りが薄くなります。
無間地獄の方は火山岩だらけなのに、少し歩いただけで山らしくなる不思議。
この参道の奥に不動明王様がおわします。
奥の院でひっそりとおたたずみになる不動明王様がとても神秘的なのです。
日本では力強く怒りの神様と言われていますが、元になったインドではヴィシュヌ神(創造の神様)で、後ろの炎はヴィシュヌの乗り物・愛鳥のガルーダ(迦楼羅)と言われていますね。
私はインドのそのイメージの方が強いので、不動明王様は好きです。
ガルーダに乗って世界を創造していく力強さがあるイメージなんですよね。
ところで何度も言いますが、これ普通のカメラです…神聖な雰囲気ありますよね?
実際に赴いた時、この場所の空気感が神聖で清らかでした。(下が硫黄だったからかもしれませんが)
硫黄交じりの火山岩の土壌と心霊スポット
再び地獄を抜けて順路を辿ります。
硫黄の入った火山岩はこんな感じでやはり黄色くなります。
湧水もあるようで、小さな川になっている所もあります。
恐山を心霊スポットだと言う人もいるかもしれませんが、これだけ亜硫酸ガスが噴出しているということは人体に影響を与えるはずですので、気持ち悪いとか、頭痛めまいなどが起きても一概に心霊現象とは言い切れません。
実際軽くこの一帯の地質の資料とwikiを読みましたが、
- 硫黄とヒ素が高濃度で地中にあるため金鉱があっても掘れない。
- 亜硫酸ガスが濃いため鳥や虫、植物が生えない。
- 下記に記す湖での酸性値が高いため透明であるが、生き物の生育には適さない。
- そのため火器は使用しない方が良い
- 風車や積み石は有毒ガスと空気を混ぜるための工夫
とのことです。
もし本当に霊がいたとしても全く不思議ではない「霊場」です。山ですし。
しかし科学的にもこういったことが分かりきっていますので、体調不良を霊のせいにするのは霊に対して失礼かと思います。
(霊媒体質的見解から言えば、本当に霊のせいならそこに入れてないですよ)
水子供養のお地蔵様
さてそんな自説を頭の中で繰り広げながら、さらに奥へと進むと雰囲気がだんだんとまた、変わってくるのです。
そこにおわしますのは、水子供養の地蔵菩薩様でした。
芥川龍之介「蜘蛛の糸」ではお釈迦様が蓮池から地獄を覗いて蜘蛛の糸を垂らした話が有名ですが、こちらは地蔵菩薩様ですね。
お地蔵様や道祖神などは母子の子守りの神様としていわれがあります。
元々お山は女性の神様ですので、山にもたらす豊穣や、生み育て実りのスパイラルなどを象徴するものです。
水子供養地蔵様は、若くして亡くなった子供の供養のためのお地蔵様ですね。
なんと凛然としておごそかなのでしょう。
極楽浜
さらに先へ参りますと、白い砂浜に透き通った湖。まるで極楽のような景色が広がります。
こちらは正式名称、宇曽利山湖(うそりさんこ)という湖で、火山ガスが水に溶け込んでいるため透明で、まるで南国のビーチのよう。
確かに極楽ってこのような南国的イメージがあります(特に東北人・荒波荒れ狂う日本海育ちにとっては)。
この極楽浜の砂を手に取ってみると、水晶の粒が多いことに気付きます。
火山ですので水晶が多いのですね。海の砂浜はその名の通り「砂」ですが、極楽の浜は綺麗ですね。
なんと言っても、陽の光に照らされてあちらこちらで水晶がキラキラと輝くのですから。
それにしても看板に「石を持ち帰らないでください」と書かれていましたが、霊場でそんな失礼なことをする人がいるとはけしからんですね。
オカルト的に言っても神様の土地から盗むことになるんではなはだけしからんのですが、そうじゃなくてもこの土地には火山ガスが溶け込んでいますんで。
持ち帰って物理的に具合悪くなっても知らないよ。
(そして物理的なのに心霊現象にされるのもけしからんですよ)
山岳信仰の死生観
昔の人々は、「死んだらお山の高い所か海の深い所からあの世へ渡る」と考えていました。
そのため修行僧(修験者)は獣の棲むような深い山中にて修行を行ったり、海を渡って中国やインドなどで修行を行ったりしました。
そうして修行を積んだ修験者が「エネルギーが満ちる山」「不思議な山」などに寺や神社や社などを建てて祀り「祈りの場」の対象としました。
ただお山に祈るというよりも、建物があった方が物理的に民衆も祈りやすかったり、大事に思うため都合が良かったのです。(魔女の祭壇も同じ理由です)
この世の修行をする修験者・山伏
また、自然の摂理・この世の真理・命や輪廻転生の仕組みなどを理解するためにこのような霊場となるお山へ修行へ入ることがあります。
山形県では霊場出羽三山(羽黒山・湯殿山・月山)で山伏と呼ばれる修験者の修行が今でもありますし、実際の山伏さんも多くいらっしゃいます。
日本の魔術(というかオカルト?)としてこういった本でも紹介されているので、山岳信仰自体は世界各地にあるけれども、ストイックに山に入って修行というのは日本や中国などの地域なのかもしれませんね。
因みにこの本は世界各地の魔術って何ぞや?というテーマで旅する物語。
レビュー低いですけど、世界にはどんな魔術があるのかというのをさらっと勉強するには読みやすいものだと思います。
霊場・恐山に向かう冷水峠
ところで恐山へ向かう道中の一本道が、「冷水峠」というのですがここが心霊スポットだという噂があります。
子供や親子の霊、生に執着した霊が水を飲みに来るのだという湧水がこちら。
本当に霊がいるかどうかはさておき、霊場恐山の入り口ともあろう場所に位置することや、ルート的にもヘアピンカーブが多くアップダウンが激しい坂道です。
夜に来ようもんなら景色の上下左右がわからなくなって(車酔い)気分が悪くなりそうです。(別場所ですが実際に気分が悪くなった私です)
ここに限らず、このような道路環境は気分が悪くなりやすいので心霊スポットになりやすいというのもありそうですね。
霊場恐山の魔女的まとめ
霊場恐山のまとめはいかがだったでしょうか。
その名の怖いイメージと違って、神聖でおごそかな雰囲気で空気が澄んでおりました。
地獄になぞらえてはありますが、ぜひまた行ってみたいと思えるような場所です。
ここが本当にエネルギーがあるかどうかは、自分の目で確かめ体感することをおすすめするにしても、昔から語り継がれる「お山の高い所から魂が天へとのぼって生まれ変わる」という日本独自の山岳信仰に至っては、本当にそうなのかもしれないと思うほどの自然が作り上げた美しい風景でした。
それが本当かどうかということではなく、これだけ綺麗な風景なのだから、そうして特別なもの扱いをして大事にしたいと思う気持ちわかります。
開発が進む地域もあれば、こうして昔ながらの特別なものを残す地域もある。
神・人・霊が共存しているように、そうした両者もバランスよく共存していけたら良いと思います。
研究的なことを言えば、地質に関しては身近に亜硫酸ガスが溶け込んで素晴らしい風景を作り上げることは稀です。秘境です。
しかも少しでも濃度を間違えれば簡単にあの世行きですし、昔はもっと濃かったのかもしれません。
これからもこのままの濃度とは限りません。ちょっとの地震でも変化することがあるかもしれません。
生きているうちにこの風景を拝めることは貴重な体験だと思います。
また精神的・哲学的に言えば、物質界にあるはずがない地獄を目の当たりにすることで、死への覚悟ができたり、価値観を共有し理解することができるようになります。
誰しもいつかは死が訪れる訳ですが、それを受け入れられなかったり、無闇に畏怖する対象だったりします。
それを和らげるためにこのような場所を地獄になぞらえて巡ることは、ある意味で死への覚悟やイニシエーションになったりします。
今回出会うことはできませんでしたが、イタコもそのような役割かと思います。
もしかしたら地獄がこんなに素晴らしい景観で、悪人だけが落とされる場所ではないのかもしれません。
地獄は極楽と表裏一体、繋がっているかもしれません。
陰と陽が表裏一体であるように。